将棋が好きだ、というのが根底にないと、最後のところで頑張れない 淡々と王道を行く「ゆとり世代」名人、佐藤天彦

 


佐藤天彦 将棋名人


「あ、佐藤名人」と女性がつぶやいた

べっちんの黒い羽織りに浅黄色の着物、利休色の袴姿の佐藤天彦名人が、撮影のために東京・千駄ヶ谷にある将棋会館2階の道場に入っていこうとすると、エレベーターの前の長椅子に座って赤ちゃんを抱いていた女性が目を輝かせて「あ、佐藤名人」とつぶやき、そばにいた息子さんと思しき小学校低学年の男の子に、ほら、と教えようとした。平日の午後にもかかわらず、道場では愛好家たちが多数、将棋を指していて、佐藤名人に気づくと顔をあげてざわついた。

名人はGQスタッフのリクエストに応え、将棋盤に駒を並べ始める。子どものころから何度も繰り返してきたであろう、その指の動きに見惚れる。正確に並べられていく駒それ自体から、気品のようなものが醸し出されている。名人とはこういうものか……。ある種の神聖さを駒が発している。つい最前まで、それはフツウの駒に過ぎなかったのに。

 ご存じのように2017年は空前の将棋ブームだった。16年、史上最年少の14歳と2カ月でプロ棋士となった中学生、藤井聡太四段が17年の3月にデビュー以来10連勝を飾り、さらにどんどん勝ち続けて、6月に29連勝という30年ぶりの新記録が生まれるや新聞の号外が出た。天才少年の一挙手一投足を連日メディアが報道し、おかげで全国の将棋道場には小学生が詰めかけ、藤井四段が3歳のころに遊んだという木のおもちゃや、子どものころ愛用していたという初心者向けの将棋セットが飛ぶように売れた。

「やっぱり藤井さんのブームで、連日のようにワイドショーで将棋の話題をやっていたりしましたし。その前のブームって、20数年前に羽生(善治)さんが七冠王になったときだったと思うんですけど、それを上回るぐらい一般の方に訴求する大きなブームだったと思います。そういう意味ではすごいことだなぁと思います」

と冷静なのが、佐藤天彦名人の持ち味である。テレビのバラエティ番組に出ていたら、「なんやねん、他人事みたいに」とつっこまれるかも、です。

プロの棋士にはなぜか佐藤姓が多いため、「天彦名人」とも呼ばれる彼は、みずからを客観視して、マイペースを崩さない。沈着冷静。ごくフツウの、隣のアパートに住んでいそうな、いまどきのおにいさんに見えるけれど、そのマイペースぶりはおそらく尋常ではない。でなければ、将棋界最高峰のタイトルとされる名人位を昨年、あの天才・羽生善治を4勝1敗でやぶって獲得できるはずもない。それも、史上4番目の若さで。5歳で将棋をはじめ、18歳でプロになり、28歳で名人になった天彦名人も、もちろん将棋の申し子なのだ。

彼はこの大ブームのさなか、名人の防衛戦を淡々とこなし、さらにコンピューター将棋ソフト、Ponanzaと初めて名人として対局した。

小学校3年生にして志す

なぜ棋士の道を選んだのか? 天彦名人は独特の、ちょっと甲高い声でこう答える。

「いや、ま、将棋が好きで、もっと強い人とやりたいという気持ちもありましたし、好きな将棋を職業にしたいという気持ちもあったので。その流れで、プロ棋士の養成機関である奨励会を受験しようと思いました。年齢制限があるので、子どもの時からそういうことを意識するような感じになっているんですよ。まわりの大人たちにも、『きみはプロになるの、ならないの?』みたいな感じで言われることもありますし、プロの道に進むのか、趣味のままにするのかという分かれ道はけっこう早い段階からあるんですよね」

天彦名人は小学校3年生でプロを志した。自分だったら名人になれる、と思ったから?

「あんまり、そういうふうには思っていなかったですね。地元は福岡で、いろんな大会には出ていたんですけど、圧倒的に勝っていたというわけではないですし、自分自身、奨励会に入ったとしてもどれだけ成算があるか、というとそれはわかってなかった。とにかく好きな将棋がしたいということで飛び込んだ感じです」

奨励会には小学校4年生で初挑戦。受験者同士で戦う一次試験は4勝2敗、現役奨励会員との二次試験は3戦全敗。しかし、翌年再チャレンジして、見事合格を勝ち取った。奨励会で待ち受ける年齢制限とは、満21歳の誕生日までに初段、満26歳の誕生日を含むリーグ戦終了までに四段になること。四段すなわちプロ、であるが、プロになれなかった場合は退会となる。

「普通の若者は誕生日が来るとハッピーな気持ちになるのでしょうが、奨励会員は違います。『ああ、また年齢制限に一歩近づいた』と、苦しい気持ちになるのです」と、自著『理想を現実にする力』(朝日新書)に書いている。プロ棋士は原則1年で4人しか誕生せず、奨励会入会者の約8割が脱落する。全員が神童と言われた子たちだろうに。

8年間の修業期間を経て、前述のように、18歳、高校卒業後、半年でプロとなった。勝ち負けの世界。勝てないときもある。そんなときでも天彦名人はマイペースで、コツコツと独自の勉強を続けた。

「もちろん焦りはあるんですけど、それだけに気持ちを委ねないというか、焦りだけで勉強方法を変えてしまったりするのは違うんじゃないかというのがあったので。もちろん早く自分も上に行きたいという気持ちもありつつも、自分の勉強法としては、しっかりと、長期的な視野を意識しながらやっていた、ということですね」

そうして2016年、子どものころからの憧れだった羽生善治名人(当時)をやぶって名人位を奪取した。じつはこのとき、天彦八段は負けが込んでいた。第1局に負け、別の棋戦でも負け、第2局を迎えた時には6連敗中だったのだ。

「だから非常に調子は良くなかったんですけど、そこで第2局に向かって気持ちを切り替えて、作戦も切り替えた。作戦がうまくいったわけではなかったんですけど、最終的には、ねじりあいのなかで、最後は逆転勝ちすることができて。はい」

そのときにはなにか降りてきたんですか?

「降りてきたというか、最善のがんばりをしていくなかで、相手にとってむずかしい状況をつくっていった。それで最後は向こうがミスをしたということなんですけど。う~ん、最後、ギリギリの土俵際で持ちこたえられたのが最後の相手のミスに繋がったというところですね。ひらめいたというよりも、粘った、持ちこたえたという印象です」

メンタル面で、持ちこたえられた理由、あるいは秘訣はありますか?

「新しい気持ちで、第2局では作戦も変えて、と言いましたけど、それによって新鮮な目で見ることができた。高いモチベーションで新しい作戦で臨むことができたことによって、局面が悪くなったときも闘志を失わずに頑張れた。それと、もちろん勝つためにやるんですけど、同時に名人戦で羽生さんのような人とやれるんだという幸せというか、楽しさみたいなものもちゃんと思い出してできればいいと思いました。勝負を意識しすぎると、それだけじゃ勝てないというか、やっぱり対局の場ではすべてをさらけ出す感覚になるので、そこでは将棋に対する気持ちみたいなものが試されるというか。将棋が好きだ、というのが根底にないと、最後のところで頑張れない。打算はあってもいいんですけど、それはなんていうんですか、最後、持ちこたえる部分にはきかないというか」

絶対に勝って、賞金でまた洋服を買うぞ!

ではダメだと。

「対局の前にそういうことをなんとなく思うのは、いいと思うんです。それをモチベーションにしたこともあります。すごく好きなコレクションがあったりして、まだまだお金がなかったときとか、勝ってこのコレクションを買いたいと思ったこともありました」

ファッショニスタとして知られる天彦名人の面目躍如かもしれない。彼はみずからの欲望にたいして正直というか、素直な人なのだ。迎えた2017年は一大将棋ブームとなり、名人にとっても前年以上のビッグ・イヤーになった。

将棋ソフトとのたたかいをめぐって

「2016年は初めて名人位をとったという意味でもものすごく印象に残る年でありました。それこそ一気に取材の量も増えたし、立場もガラリと変わりましたし。ただ2017年もこれはこれでものすごい年で、名人の防衛戦もありました。名人として初めて電王戦でコンピューターとやったと。これもまた印象に残ることでした」

名人対最強AIの対決! まさに歴史の教科書に残る大事件だった。

「普通だったら、初めて名人位を獲得した人の最初の課題は防衛です。とったはいいけど、防衛する力はあるのか、ということが(世間から)見られる。そして今回は、同じ時期にコンピューターと対局したらどうなるか、ということも加わった。ほぼ並行して電王戦と名人戦をやる、とそういう状況に放り込まれたんです。そういう状況になったときに、まったく違う相手なので、どういうふうに気持ちをもっていくかがむずかしかったですね。それをいかに乗り越えるか、ものすごく大きな課題だった」

AI将棋ソフトPonanzaとの戦いは、4月に第1局が日光東照宮で、5月に第2局が姫路城で行われた。現役の名人とコンピューター、それに最後の電王戦ということもあって、将棋とは縁のないメディアも多数押し寄せ、将棋ファンにとどまらない国民的な注目を集めた。

「そもそも目の前にいる相手がピカピカのアームのロボットですからね。そういう意味では普通ではできないようなすごい経験をさせてもらいました」

結果は『GQ』でも既報の通り、名人の2連敗に終わった。

「名人位を背負って機械と戦ったところもありましたから非常にプレッシャーもありましたし、負けた時も(プレッシャーが)あったんですけど、ただ、そこでうろたえても仕方がない。負けたとしても代表者として堂々として振り返ることが大事だということは思ってました。いずれは人間が勝てなくなる分野のひとつでしょうから。これがどういうことなのかを伝えるのが大事なのかなと」

コンピューターは感情がないから、「ヘボ将棋  玉より飛車をかわいがり」なんてことがないと言われる。

「ま、僕も飛車が一番好きなんですけど、将棋の面白いところって、場合によっては飛車より桂馬の価値のほうが高くなったりすることがあるところなんです。価値の変動が劇的に起きるゲームなんで、つねに意外性を感じる楽しみがあるんですけど、コンピューターは人間よりもその価値の変動に敏感というか。人間だったら8割、この場合は飛車のほうがいいなというセオリーがあるんですけど、コンピューターの場合は膨大な計算をしているので、可能性が1割を切るレベルでも的確に、『ここは桂馬のほうが価値が高い』と判断してくる。そこは、コンピューターの計算力にかなわないところがあると思いますね。どうしても」

そもそもコンピューターとの戦いを断ることはできたんですか?

「今回の場合はできなかったと思います。叡王戦で優勝して、勝者は電王戦に出ると決まっていたので。もし本当にやりたくなかったら叡王戦に出ない、という選択肢はあった。それはもちろん考えられたし、実際にトップ棋士でも出なかった人もいたんですけど、僕の場合は出たので」

コンピューターとの対戦に興味はあったんですか?

「う~ん。対コンピューターということ以外にも、せっかくプロになれたので、一局でも多く対局をやるのが自分にとっての幸せでもあるし、プロとしての役割であるという考えもあってエントリーしました。名人がコンピューターとやるとなると、もちろん社会的には大きな責任を伴いますし、自分もたいへんな思いをするとは考えましたけど、純粋に新しい発見の可能性がある、という意味でコンピューターから得られることもあるんじゃないか、と思いましたし、そこは興味もありました」

名人にとって、将棋とは?

「ゲームなんですけど、でも本当に面白いゲームで、だからこそその時々の人たちを魅了して、それがずーっと積み重なってきて、いまがある。その魅力をまたつないでいく使命がいまの棋士にもある」

と、まず切り出した。

「将棋界はそれこそ非常に個性的な人が多いんです。それぞれが将棋盤のなかに自分の宇宙というか世界観を持っている。その人の個性が将棋盤のなかに詰まっていくんですね。対局は、その個性のぶつけ合いでもある。だから将棋を鑑賞する人は、見ていて、その人自身の人生観みたいなものも感じとることができる。将棋は、本当に棋士によって違いますので、そういうところは見ていてきっと楽しめる部分だと思うし、自分が指してもいいし、他人の将棋を見ていても楽しい。コンピューターが出てきたらそれはそれで面白いし、だからといって人間の指す将棋の魅力が損なわれるわけでもない。そういう将棋の広さ、深さ、懐の深さみたいなものがあるからこそ、こうして連綿とつながってきているのかなという気がしますね」

2018年の抱負をお聞かせください。

「僕のなかでは名人防衛が一番大きいところですけど、一応17年はできたということで、やっぱり二冠、三冠をとるような棋士になりたいなとは思いますね。ここから先に進むことを目標にしたいなと思ってます。ちょっとずつでも前に進みたい」

2020年の東京オリンピックまで名人位を持っていてください。

「持っていれば、5期獲得で永世名人。それはぜひ(笑)幸せを手にしたいです」

そのための秘策はありますか?

「秘策でタイトルをとれるほど甘くない、というところがあるんで、淡々と頑張るしかないですね」

「ゆとり世代」の天彦名人は、王道をいく。


 AMAHIKO SATO

 棋士番号263。1988年1月16日福岡県生まれ、中田功七段門下。2006年四段、2016年九段。獲得タイトルは名人2期。棋戦優勝は叡王戦1回、新人王戦2回。受けの強さと負けにくい棋風で知られ、優雅な私生活から「貴族」の呼び名で親しまれる。