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平安京当初の土地区画知る溝跡 花園大構内から出土

整然とした十字ではなく、互い違いの状態で出土した宅地の区画溝=京都市中京区
整然とした十字ではなく、互い違いの状態で出土した宅地の区画溝=京都市中京区

 平安京遷都(794年)直後の8世紀末~9世紀初頭に作られたとみられる宅地の区画溝が、京都市中京区の花園大敷地内で見つかったことが24日、わかった。左右対称で方形の都市作りをする条坊制に基づく平安京は、現在の京都市中心部に残る「碁盤の目」のように、南北、東西の区画溝が整然と交差していた。しかし、今回の区画溝はT字路だったり等間隔でなかったりとふぞろいな状態で、発見した同大学考古学研究室同研究室は「遷都間もない時期の土地区画のあり方を知る重要な資料だ」としている。

 調査地は平安京の右京二条三坊十町にあたる。条坊制で土地が均等に区切られた平安京内の土地区画単位「町」の中心部で、役人らが朝廷から土地を与えられて居住していた地域。新校舎建設に伴い約1千平方メートルを調査した。

 この結果、条坊制が本格的に確立した後の平安京での区画溝だったと思われる場所から、西5メートルの地点で幅1・5メートルの南北方向の溝が出土。さらに、南北溝から、東方向に伸びる幅0・5メートルと0・8メートルの2本の溝が出土したほか、西方向に向かう幅約1・5メートルの溝も見つかった。3本の東西溝は、いずれも南北溝に対してT字路の形で伸びていた。

 区画溝は一緒に出土した土器から、平安京に遷都して間もない8世紀末~9世紀初めに作られ、その後、わずか数十年で埋められたことも明らかになった

 今回の調査で、発掘現場周辺では当初、4人の役人に土地が与えられたと推測されるが、京での土地配分は均等が原則のため、区画溝も整然と交差するのが本来の姿だ。今回のような形で出土したことに対して同大の高橋克壽教授(考古学)は、調査地に湿地が多く含まれていることに着目し、「湿地以外の部分で、4人が宅地として使える土地を分けあった結果、ふぞろいな形になったのではないか」と分析している。

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