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「浪曲界のジャニーズ」若手の活躍に令和の浪曲ブーム到来か

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 明治に誕生した演芸「浪曲」は、世相を反映した物語をつむぐことで人気を獲得した。その歴史をたどると、戦前までは「忠臣蔵」や「清水次郎長伝」など忠義や義理人情が描かれた作品が共感を呼んだ。半面、経済成長や個人主義が強まった昭和30年代以降、そのテーマが「古臭い」と若者の足が遠のく原因にもなった。そしてコロナ禍が襲った令和では、新たなブームを呼ぶため、どのような物語が生まれようとしているのか。  (藤原由梨)

即興演奏でも観客魅了

 「ちょうど~時間となりました~」

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、大阪府に3度目の緊急事態宣言が出される直前の4月24日、大阪市淀川区のシアターセブン。浪曲師、真山隼人さん(26)のうなりが約50席の小さな劇場に響き渡る。それを支える曲師、沢村さくらさんの「ベンベン」という三味線の音色も心地いい。これが即興演奏というから舌を巻く。

 この日のミニ独演会では、江戸時代の馬術の名人を描いた人気演目「寛永三馬術」の中から「曲垣と度々平」編3席が2時間半にわたって披露された。

 中でもよく上演される「大井川の巻」は、馬術の名人、平九郎と従者の度々平が大雨で増水した大井川(静岡)を馬2頭に乗って渡ろうとする物語。上流から流れてきた流木にあわやぶつかる-という所でこの1席は幕を閉じる。

根強いファンが通う真山隼人さんの独演会=大阪市
根強いファンが通う真山隼人さんの独演会=大阪市
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 この後、無事に2人は激流を渡り切れるのか…。そんな余韻を残しながら真山さんがうなり終えると、熱心な約30人の観客が大きな拍手を送った。

ジャニーズだと思って追っかけ

 「子供のころは夜にラジオで浪曲を聞いて、翌日に友達と『あれ聞いた?』と盛り上がっていたもんです」

 大阪府門真市の女性(76)は、60年余りの空白期をおいて浪曲ファンに戻ってきた。平成27年にたまたま訪れた浪曲の公演で、デビュー間もない真山さんと京山幸太さん(27)を見かけた。その初々しさに「2人をずっと見ていきたい。2人を浪曲界のジャニーズだと思っている」と応援を続ける。

 真山さんは、小学生時代に落語を聞こうとラジオをかけたところ、曜日を間違えて浪曲を聞いたことをきっかけに、魅力にはまったという変わり種。中学卒業後すぐに2代目真山一郎さんに弟子入りした現代には珍しいタイプで、翌年のデビューでは最年少浪曲師として話題に。「基本の型はあるが、師匠の物まねをしてはいけないし、自分の型を作らないといけないのが浪曲の魅力」という。

昭和30年代まで作られていた浪曲師の人気番付
昭和30年代まで作られていた浪曲師の人気番付
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 古い浪曲の台本を発掘して、現代流にアレンジしたり、創作ネタを考案したりを繰り返しレパートリーは100席を超えた。浪曲にオーケストラ演奏を合わせる演歌浪曲を看板にする真山流の伝統を破り、三味線の伴奏だけで舞台に立つスタイルに挑戦する。

人に寄り添う大衆芸能

 真山さんは、浪曲は身近なものを題材に、早口で節を付けて歌い踊る「ちょぼくれ」や「ちょんがれ」といった江戸期からある大道芸を源流の1つにすることを忘れたくないという。

 浪曲を知らない人でも、「アッと驚く為五郎!」のギャグや、二葉百合子のヒット曲「岸壁の母」など、浪曲をもとにしたフレーズを聞いたことはあるだろう。また、昭和40~50年代までは一座を組んで全国を巡業し、1週間から1カ月にわたって同じ場所で興行することも多かった。庶民にとって身近な芸だったことは間違いない。

 「浪曲は大衆芸能であって古典芸能ではない。伝承芸にしてしまうと、衰退していくだけ」と真山さんはきっぱり。「日本人の琴線に触れるというか、日本人と切っても切れない芸能で、継承していくにはわれわれ世代が最後のとりでとなる」と決意している。

 さてここで、ちょうど時間となりました~。お次はコロナが収束したら、ぜひ劇場で本物をお聞きくださいませ~。

 浪曲は昭和初期に人気のピークを迎えた。昭和20年代には長者番付に複数の浪曲師が名を連ねるほどの人気があった。「浪曲は社会性があったからこそ大衆の人気を得た」。朝日放送の「おはよう浪曲」やNHKの「浪曲特選」などで司会を務めた浪曲作家、芦川淳平さんはこう指摘する。

 日清日露戦争が勃発した明治期には、主君の敵討ちに立ち上がる「忠臣蔵」が受け、大正期は病気の妻と子供を残して出征する男の悲劇を描いた厭戦(えんせん)的な「召集令」が人気を博す。終戦後、浪曲師と曲師がいれば少ない設備で公演できることからひっぱりだことなり、娯楽の少ない庶民をラジオや全国巡業で慰めた。

戦後、GHQから上演の認可を受けた浪曲の台本
戦後、GHQから上演の認可を受けた浪曲の台本
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 「芸能はいかに世の中の共感を得るかが大事」。ところが「日本が豊かになるにつれ、浪曲と世の中の価値観が乖離(かいり)していった」。高度経済成長を迎えた昭和30年代後半に入ると、浪曲は昔を懐かしむ老人が楽しむ芸とみなされるようになっていった。

 しかし近年、「古い芸」という思い込みなしに作品を見る若い世代が出てきたという。浪曲ファンの増加にもつながっていると分析する。

 コロナ禍の今、これまで受け継いできた浪花節の世界観を生かすことが可能ではとも考えている。困っている人を助けよう、社会へ恩返ししようと訴える浪曲が出てきてもいい。「令和の浪曲師は多くの共感を得るために何を訴えるべきかよく考えてほしい」と期待している。

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