PR

エンタメ エンタメ

【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】漫画家・久松文雄さんの大切な「贈り物」

古事記全巻の漫画化に取り組んだ久松文雄さん=平成21年4月
古事記全巻の漫画化に取り組んだ久松文雄さん=平成21年4月

ジェッターに男児は憧れた

 漫画家の久松文雄さんが16日、歯肉がんのために亡くなった。77歳だった。どの新聞の訃報記事もあまりにもあっさりしていて、63歳の筆者には不満がたまっていた。それならば自分で書いてしまえばよい。そんなしだいでいまキーボードをたたいている。

 1960年代に小学生だった男性ならば間違いなくSFアニメの名作である「鉄腕アトム」「鉄人28号」「エイトマン」、次いで「スーパージェッター」の洗礼を受けたはずだ。

 「スーパージェッター」は原作漫画が先にあってそれをアニメ化したものではなく、TBSが企画したものだ。若き日の筒井康隆さん、豊田有恒さん、眉村卓さん、半村良さんらが脚本を執筆し、当時20歳そこそこだった久松さんが絵柄を担当した。アニメは脚本がどれほど秀逸であろうと、絵柄が魅力的でなければ小学生は見向きもしないだろう。TBSの担当者の目は確かなものだった。

 父が国鉄の技師で転勤が多かった。小学校時代に何度も転校した久松さんは、いじめに遭うこともあって自宅に引きこもりがちになったという。そこで手塚治虫さんの漫画を模写することに楽しみを発見し、その腕を磨いていった。

 手塚さんのアシスタントを経験した久松さんの当時の絵柄は、手塚さんの引力圏内にあったが、少女像には独特な魅力と色気があった。「スーパージェッター」に登場するボブヘアーに赤いベレー帽のフォトグラファー、水島かおるは、清潔でありながら、初恋も知らぬ小学生男児の奥底に眠っているリビドー(性衝動)をくすぐるところがあったように思う。この当時から久松さんは、脚本をより魅力的に見せる演出家の手腕を持っていた。

 若い読者のために「スーパージェッター」について簡単に説明しておこう。30世紀のタイムパトロール(時間捜査局員)ジェッターは、タイムマシンで逃走する悪人を追跡中、衝突事故で20世紀に不時着してしまう。この事故でタイムマシン「流星号」は時間航行機能が故障し、ジェッターは20世紀にとどまって犯罪捜査に協力することになる-こんな物語だ。これを彩るのが先に記した水島かおる、そして空中、地中、水中を自在に航行できる流星号、周囲の時間を30秒止める機能の付いた腕時計型トランシーバーなどだ。ジェッターはいざというとき、この腕時計で流星号を呼び寄せる。台詞(せりふ)は「流星号、応答せよ、流星号」。小学生男児はこぞってこの台詞をまねしたものだ。

 「スーパージェッター」は白黒だった。全52話の放送終了後、海外向けに作られたカラー版が放送されることになった。カラーテレビが金持ちの居間に置かれ始めた時期だったのだ。カラー放送の日に、胸を躍らせてテレビの前に陣取った私は唖然(あぜん)とした。ブラウン管に現れたのは白黒の映像だった。無知な小学生は白黒テレビでも色が着くと思い込んでいたのだ。

 久松さんはその後も、無人島に漂着した少年少女の活躍を描いた「冒険ガボテン島」や白土三平さん原作の「少年忍者風のフジ丸」の絵柄を担当するなど活躍を続けたが、リアルな絵柄の劇画が人気を博すようになると、それに背を向けるように歴史の漫画化に専念するようになった。

ライフワークは日本人への贈り物

 久松さんにお会いしたのは『まんがで読む古事記』第1巻が刊行された12年前のことだ。神社の参拝記念用の冊子「まんがで読む古事記」の作成を企画した青林堂が、神を描ける漫画家として目を付けたのが、清潔かつ端正でありながらほのかなエロスを匂わせる女性を描くのにたけている久松さんだった。

 古事記には「エログロナンセンス」ともいうべき場面が多数ある。これを劇画タッチで漫画化すればどうなるか結果は見えている。久松さんは青林堂の期待に見事にこたえた。伊耶那岐(いざなぎ)と伊耶那美(いざなみ)の国生みのための交わり、子殺し、黄泉(よみ)の国に横たわる伊耶那美の腐乱死体などを、省略することなくかつ品位を保って描き出したのだ。

 「伊耶那美の中に美しく成長した水島かおるが見える」と言うと、「すずめ百まで踊り忘れずですね」と久松さんは苦笑し、すっと心を開いてくれた。最初の質問は歴史の漫画化に専念するようになった理由だ。こんな答えが返ってきた。

 「あの当時(1960年代後半)、編集者からはブームになっていた劇画を描くべきだと進言されました。でもね、私は劇画の荒々しいタッチは好みではないし、漫画という表現方法でわざわざリアルな物語を描くこともない。私が漫画で描きたいのはロマンやファンタジーなのです。それからですね、歴史に関心が向いたのは」

 こうして数々の歴史漫画をものにしてきた久松さんは、青林堂の依頼を受けて初めて「古事記」本書と解説書を読み込み、心から描いてみたいと思うようになったという。

 「『古事記』はこれまでにも漫画化されていますが、今回は話を一切省略することなく、登場する神々すべてを造形することで、これまでにない作品にしたいと考えています。実際に取り組んでみて、これほどファンタジーとして面白いものだとは思いませんでした」

 久松さんはその言葉通り、登場する神々の顔をすべて描き分けるなど、「古事記」に対して最大限の敬意とそれに見合う労力をはらいながら描き続けた。刊行途中には神道文化賞を受賞し、最終巻である第7巻が刊行されたのは2年前のことだ。晩年の10年をかけた、真の意味でのライフワークだった。

 久松さんと歯肉がんとの闘いがいつごろから始まったのかは知らない。だが、最終巻を描いていたころには、自分に残された時間をはっきりと意識していたのではないか。モンテーニュは『エセー』の最終章である第3巻第13章「経験について」のなかに《生命の所有が短くなればなるほど、わたしはその所有をますます深くますます十分にしなければならない》と記している。久松さんの心境はこれとぴたりと重なるように思う。半世紀前には子供たちに夢を与え、晩年には日本人に大切な贈り物を残してくれた久松さん、ありがとうございました。

 ※モンテーニュの引用は関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)による。  (文化部 桑原聡)

関連トピックス

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ