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筒美京平、なかにし礼…昭和・平成を走り続けた巨星の足跡

時代とともにメッセージを送り続けたなかにし礼さん(BSフジ提供)
時代とともにメッセージを送り続けたなかにし礼さん(BSフジ提供)
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 BSフジ「サンデースペシャル」は、2月21日午後6時から「HIT SONG MAKERS~栄光のJ-POP伝説~2020年追悼スペシャル“消えゆく昭和の音楽の星たち”~筒美京平、なかにし礼から渡哲也まで~」を放送する。

 昨年は多くの音楽の星たちが消えていった。筒美、なかにし両氏はまさに昭和を代表する作曲家と作詩家である。番組では、2004年と16年に行われた2人のロングインタビューに新たな取材を加え、音楽の世界で残した功績を探る。

 なかにしは1967年、「恋のハレルヤ」で黛ジュンをスターにし、さらに黛が歌う「天使の誘惑」でレコード大賞を受賞。筒美は68年、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」で自身初のオリコンチャート1位を獲得する。

 そして筒美は71年、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」でレコード大賞を受賞し、2年後、いしだあゆみの「あなたならどうする」で初めてなかにしと共作する。

 その後の活躍は言うまでもない。筒美は郷ひろみ、南沙織、浅田美代子ら多くのアイドルでヒット曲を飛ばし、なかにしも弘田三枝子、由紀さおり、森進一ら、また自分の兄との確執を詩にした北原ミレイの「石狩挽歌」などで独自の世界を構築していく。

 筒美は自分を殺して「売れる曲」を書き続け、なかにしは「日本」という国、そして「昭和」という時代に向かってメッセージを送り続けた。

 やがて台頭してきたニューミュージックと対峙する筒美は、作詞家の松本隆と組んで太田裕美の「木綿のハンカチーフ」を誕生させる。

 2003年。2人は再びヒットチャートのトップに立つ。TOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」である。同時代を走り続けた両氏の晩年はどのようなものだったのか。

 実は筒美は、大学からのバンド仲間と月に一度はジャズのライブ演奏を行っていたという。直木賞作家となったなかにしも自ら「ガラ・コンサート」などのステージをプロデュース。昭和が過ぎ去り、平成になってからも精力的に活動を続けた。

 番組では、昨年亡くなった渡をはじめ、弘田三枝子、守屋浩、岸部シロー各氏にもスポットを当てる。

 インタビューには、筒美作曲の「魅せられて」を歌うジュディ・オングや中尾ミエ、当時レコード会社の専属作詞家として渡の曲を作詞した直木賞作家の五木寛之、作詞家の橋本淳、音楽評論家の湯川れい子らが登場する。(産経デジタル)

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