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【寅さん50年 男はつらいよを読む-吉村英夫】(22)不世出の喜劇役者・渥美清

軽演劇を経てテレビ、映画に活躍の場を広げた渥美清=昭和41年12月
軽演劇を経てテレビ、映画に活躍の場を広げた渥美清=昭和41年12月

 第9作『柴又慕情』(主なロケ地=福井県)。妹さくら(倍賞千恵子)夫婦は家を建てる夢をもっている。だが、それを聞いた寅次郎は「割り箸みたいな細い柱立ててよ、安いせんべいみたいな壁をペコペコまわりに貼り付けて中へお住みになるんですか。そよ風がふわっと吹いただけでコロッと転がるような家だよ、みっともないことをやめろよ」とこきおろす。

 博(前田吟)が「いくら兄さんでも」と怒りをあらわにし、さくらからも諭される。言い過ぎに気づいた寅は肩を落として旅に出る。

 第11作『寅次郎忘れな草』(主なロケ地=北海道)でも同じような失敗を繰り返す。

 息子の満男にピアノを与えたいという、さくらの気持ちを勘違いした寅は玩具のピアノを買う。本物がほしいのだと知って、逆に居丈高に、ピアノは「広いお屋敷」の娘が「応接間でポロンポロンと弾くもの」で、「棺おけだってタテにしなきゃ入んない」アパート住まいのさくらたちにはぜいたくだと毒づく。博の抗議に寅はまたしくじったと、引き留めるさくらを振り切って旅立っていく。

 「おもしろうてやがて哀しき鵜舟かな」(芭蕉)。両シーンとも渥美清の絶妙なセリフと表情と動きがあって成立する。笑いからペーソスへと一瞬に転換する。観客は笑いながらも、寂しく去る寅に心を揺り動かされる。

 演出の妙もシナリオのさえもあるが渥美あってのシーンで、余人にはまねができない「躁(そう)」から「寂(せき)」への急転換である。

 渥美清。昭和3年上野「車坂町」に生まれ。本名は田所康雄。不良少年時代を経て、戦後、アメ屋横町あたりでテキヤの口上を覚えたりして、浅草の軽演劇の世界に入る。だが肺結核の大手術で2年間の療養生活を送る。

 復帰後はコメディアンとして初期テレビ時代に黒柳徹子らと活躍し、映画界に乗り出す。『拝啓天皇陛下様』での絶妙な演技も認められ、テレビドラマの『男はつらいよ』に出たのが43年で40歳のとき。

 27年間の『男はつらいよ』出演となり不世出の喜劇役者ぶりを遺憾なく発揮した渥美。最後の数年は肺がんと闘いながらシリーズのみに専念し平成8年8月4日、死去。68歳だった。

 渥美の死を発表した山田洋次監督は、その場で『男はつらいよ』終了の決意を表明する。渥美への弔意であり敬意でもある。

 チャプリンの後にチャプリンがいないように、寅さんの渥美清の後に、もう寅さんはいないのである。

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