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【一聞百見】大泉洋を人気俳優にした伝説の番組「水曜どうでしょう」秘話 HTBカメラ担当ディレクター嬉野雅道さん(59)

 いよいよ、「どうでしょう」の快進撃が始まる。深夜時間の放送にもかかわらず視聴率はうなぎ上り。平成8(1996)年にスタートした番組は3年後の平成11年12月に18%を超える数字をマーク。さらに、再放送が道外のローカルでも放送されるようになった。

 ところが12年、出演者の一人、鈴井貴之の映画制作をきっかけに、しばらく番組が途切れた。復活するのは翌年。企画はリヤカーを引っ張って4人で喜界島を一周しようというもの。

 嬉野さんが紙まで発注して作らせ責任編集した、番組の写真集の最後の一枚は最終回の「ベトナム」の旅ではなく、復活したときの「喜界島」の旅の写真だ。

 「撮ってた写真が好きだったからでしょうね。『水曜どうでしょう』っていう場所が好きでしたね。番組が始まってから『ここはいい場所だなあ』とずっと思ってました。そう、この写真集、ほんとうは私の家族アルバムなんです」

 ■変わらないもの 旅は続く、4人のつながりも

 伝説の番組「水曜どうでしょう」レギュラー最後の旅は、ベトナムを50ccバイクで縦断するというハードなもの。そこで嬉野さんはタレント、鈴井貴之の後部座席にまたがり撮影するという離れ業をみせる。

 「あれは緊張しました。短パンはいてミスター(鈴井)とタンデム(2人乗り)してるわけで、転倒したら終わりです。本編で使ってないけど大泉(洋)くんと藤村くん(忠寿ディレクター)の会話が残ってます。『藤村くんさあ、どうして嬉野くんはああして両手を離せるんだろう』って。ニー(ひざ)でバランスとりながら転ばないように撮ってた。そういう功名は一切触れられず、俺が大泉くんを撮らず、風景ばっか撮ってるってことで、風景好きなカメラマンってなるわけでしょ。そっちの方がおもしろいから」

 ベトナムの最後は、大泉と藤村ディレクターの涙で終わるのだが、撮影した嬉野さんはどうだったのだろう。「僕としては、大泉くんと藤村くんがああいう気持ちになってるなんてみじんも思わなかった。2人のように番組をおもしろく作るってとこに、そんなにプレッシャーを感じてない立場。通りすがりで手伝ってる感じで。特に藤村くんが号泣しちゃったっていうのはいろいろな感情がこの6年間につまってて出どころがなくなった思いが一気にわーっと出てきたんだと思う。でも私の中では大して…」

 大泉がバイクの上で感無量となって無言になったときもワイヤレスマイクの電池切れじゃないかと心配したというのだから、そこはやはり内なるアウトサイダーなのだ。

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