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【一聞百見】大泉洋を人気俳優にした伝説の番組「水曜どうでしょう」秘話 HTBカメラ担当ディレクター嬉野雅道さん(59)

■九州男児が北海道へ 実は「妻に連れられ…」

 どうして九州・佐賀のお寺の息子が、北海道でテレビ番組を作るようになったのだろう。

 東京の大学に進み、フリーで映像の仕事を始めたころはバブルと呼ばれる時代。「そのころ女房と結婚して。女房が札幌行きたいっていうんで俺がついてきた感じじゃないですかね」

 嬉野さんが31歳のとき、バイクでツーリングするのが趣味という25歳の奥さんと結婚。「彼女、札幌がとても好きで、鍼灸(しんきゅう)院を開業したいって。安請け合いしたら着々と準備してて、あの人が30歳になったとき、札幌に買えそうな中古マンションがあるって。それで越してきたんです」

 髪結いの亭主?

 「油断すると働かなくなるタイプ。でも、仕事した方が自由な時間が持てるなと思ってた矢先、知り合いがHTB(北海道テレビ)で仕事があるよっていう電話をくれた」

 自由になるために働くというところがちょっとおもしろい。「でもね、僕としてはディレクターに向いてないと思ったんですよ」

 業界は自己主張の強いイケイケの人ばかり。「私みたいなひかえめな男はいなかった。とはいえ36歳だから転職は不利だな、と思っているときに、藤村(忠寿)くんて人がいたんです。この人と一緒だったらいいなっていう人だった」。彼はざっくばらんに切り込んできた。「あんた、こんなことできないでしょと。そうやって踏み込まれると、そんなことないよって返しやすくなる。人間、いきなり踏み込まれると押し返す気持ちが自然に出る。それもコミュニケーション」

 その藤村ディレクターが作った「モザイクな夜」という番組が「水曜どうでしょう」の原形といわれる。「編集は荒削りだけど、おもしろい、と思いました」

 当時の制作部長が、その藤村ディレクターと組ませてくれたおかげで伝説の番組が生まれた。ところが、実は最初のロケを外されそうになったのだそうだ。「(番組中のサイコロ1という企画で)アン・ルイスさんのインタビューをすればレコード会社が旅費も交通費ももってくれると。ところが私を置いて3人で行くっていうんですよ。俺、どうなる。『あんた来るんだったらカメラやってもらうよ』『やるよ』。で、そっからですよ。僕は絶対おもしろい絵が撮れるっていう自信があった」

(次ページ)深夜なのに視聴率18%超…大泉洋、ベトナムの旅の号泣で

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