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吉永小百合さんに聞く(下)「青い山脈」石坂洋次郎への思い

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 撮影で東北地方を訪ねることが多い女優の吉永小百合さん。東日本大震災の被災地に足を運ぶほか、秋田県横手市に文学記念館のある作家、石坂洋次郎とのかかわりも深い。洋次郎作品の映画にまつわる思いを聞いた。(秋田支局長 藤沢志穂子)

 石坂洋次郎(1900~86)は、秋田県横手市の高校で教鞭(きょうべん)をとった経験を投影した「青い山脈」などを発表。映画化された全16本の石坂作品に、10、20代のころに出演した。

 横手市には石坂洋次郎文学記念館がある。そこに、生前の石坂と撮影した写真やサインを提供。葬儀で読んだ自筆の弔辞も展示されている。

 吉永さんが記念館の存在を知り、最初に訪ねたのは2016年、同市の観光名所の一つである「増田の内蔵」のCMとポスター撮影のときだった。

 東北経済の拠点として栄えた豪商たちの蔵は、豪雪地帯のため母屋で覆われた独特の構造で、「立派で、ああいうところがあるのにびっくり」。CMとポスターは全国に浸透し、増田には今も「吉永さんと同じ場所で写真を撮りたい」と、多くのファンが訪れる。

インタビューに答える吉永小百合さん=東京都港区(三尾郁恵撮影)
インタビューに答える吉永小百合さん=東京都港区(三尾郁恵撮影)

 しかし、同じ市内にある記念館の存在はあまり知られていない。「(内容が)あまりにまじめだからではないでしょうか。場所も遠いので、人を引きつけるには工夫が必要だと思い、私が持っているものもいくつかお送りしました」

 石坂作品には、戦後の新時代を象徴する先駆性があった。「最初は『あいつと私』に出演して、その後は『花と娘と白い道』という映画で主演でした。(石坂の代表作の)『青い山脈』『若い人』の後は、私をモデルに『風と樹と空と』『光る海』などを書いてくださいました」

 過去5回、映画化されている「青い山脈」では、1963年公開の3作目に主演した。撮影当時の吉永さんは仕事が忙し過ぎて、高校へ通うことができなくなっていた。「女性が男性にこんなことまで言うのかと思いながら、小気味よくて、一生懸命セリフをしゃべりました。(演じることが)私の青春そのものでした。彼女たちの生き方を学び、女性が力強く生きていくことの素晴らしさを知りました」

吉永小百合さんが寄贈した、石坂洋次郎氏と一緒に撮影した写真。1970年代と思われる=横手市の石坂洋次郎記念文学館(藤沢志穂子撮影)
吉永小百合さんが寄贈した、石坂洋次郎氏と一緒に撮影した写真。1970年代と思われる=横手市の石坂洋次郎記念文学館(藤沢志穂子撮影)

 ロケ現場では「旅館で夜、女の子たちがキャーキャー騒ぐと(共演の)高橋英樹さんに『おい、うるさい!』とか怒られて。同級生みたいな感覚で、高橋さんや浜田光夫さんとやっていました。懐かしいです」と振り返る。

 石坂には「何でも相談しました。人生の先生であり、学校の先生、父親であり、でした。先生にとっても、私は子供であり、生徒であり、みたいな思いがおありだったのではないかと思います」。結婚するときは周囲の大反対にあう中、「『僕は小百合ちゃんの味方になるよ』と言ってくださったので踏み切った」。「披露宴でも真っ先にごあいさつしてくださって。お宅にも何度もおうかがいして、作品に出演した以上に、人生についていろいろうかがうことができました」

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