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【還暦の少年週刊まんが誌 サンデー・マガジンの草創期】(1)対照的社風、創刊前から死闘 娯楽分野が得意の講談社/漫画家獲得は小学館先行

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 互いに相手より一日でも早い創刊を狙ってデッドヒートを展開。定価設定や表紙を飾る人物、付録に至るまでスパイもどきの情報合戦が繰り広げられた。

 漫画家の争奪戦は、サンデーが先行する。「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」で頂点を極めていた手塚治虫もサンデーが押さえた(創刊号からサンデーに「スリル博士」を連載)。さらに手塚を専属にすべく、大卒の初任給が1万数千円の時代に、200万~300万円もの契約料を提示したが、手塚は応じなかったという。サンデーは、若い漫画家が住んでいたトキワ荘勢(藤子不二雄、寺田ヒロオ)も獲得。緒戦でのサンデー快進撃の原動力となった。

                   

 なぜ、この時期に両社は少年向け週刊誌の発行に踏み切ったのか。

 ひとつは番組サイクルが“週単位”であるテレビの急速な普及であろう。28年、NHKと日本テレビが放送開始。現在のTBS、テレビ朝日、フジテレビも続き、子供たちの生活・娯楽サイクルも月単位から週単位へと早まってゆく。31年には、初の出版社系週刊誌「週刊新潮」が成功を収めていた。

 一方、月刊誌主体で仕事をしていた、漫画家にとっても週刊化は革命的な出来事だった。作業時間は単純に割っても月刊誌の4分の1。アシスタントをつけるのが当たり前となり、原作者と漫画家の分業や編集者がプロデューサー的な役割を務めるようにも。両誌に続き週刊漫画誌は続々と創刊され、新たな時代の幕が開く。=敬称略、隔週木曜日掲載

                   

 少年週刊漫画誌の誕生(昭和34年3月17日)から60年。「漫画を変えた」草創期の姿を追う。(喜多由浩)

                   

【用語解説】週刊少年サンデー(小学館)

 初期は「おそ松くん」(赤塚不二夫)「オバケのQ太郎」(藤子不二雄)などギャグ漫画で人気を呼ぶ。後には「タッチ」(あだち充(みつる))「うる星やつら」(高橋留美子)など、ラブコメディー路線が支持を得た。

 週刊少年マガジン(講談社) 原作と画を分けた梶原一騎(いっき)(高森朝雄)原作の「巨人の星」(画・川崎のぼる)、「あしたのジョー」(同ちばてつや)などが初期の代表作。劇画タッチの漫画も、いち早く取り入れ、青年層まで読者を広げた。

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