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映画「サタデー・ナイト・フィーバー」日本公開から40年 〝フィーバー〟は永遠に

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日本のディスコ

 昭和48年、鈴木しょう治さん(62)は、「DJ募集、月9万円」と書かれた新聞広告の切り抜きを手に東京・新宿のディスコを訪ねた。自動車レーサーを目指す高校2年生だったが、9万円にひかれた。大卒者の初任給が、6万2300円(厚生労働省調査)の時代だ。

 行ってから、それがディスコDJのオーディションだと知った。選んだレコードをかけ、おしゃべりで場を盛り上げるのがディスコDJだ。そんなことは知らなかったが、なぜか実技試験を突破し採用された。日本人のディスコDJの草分けの一人になった。

 当時日本のディスコは、バンドの生演奏で踊った。東京・赤坂に43年にできた「MUGEN」にならったもので、鈴木さんによればMUGENこそ日本初のディスコだ。DJがいても外国人だった。

 鈴木さんたちをDJに採用したのはキャバレーをチェーン展開する企業で、参入にあたりバンドより費用を抑えられるレコードを活用したかったのだろう。

 しかし、鈴木さんたちの活躍で、DJがレコードをかけるスタイルがディスコの標準になった。店も増え、51年になると新宿・歌舞伎町に3000人を収容できる大型ディスコが現われるなど、まさに活況を呈したところにやってきたのが「サタデー・ナイト・フィーバー」だった。

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