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【話の肖像画】歌手・加藤登紀子(3)獄中結婚でセンセーション

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【話の肖像画】
歌手・加藤登紀子(3)獄中結婚でセンセーション

藤本敏夫氏と長崎県平戸で=昭和44年(事務所提供) 藤本敏夫氏と長崎県平戸で=昭和44年(事務所提供)

 その日(昭和35年6月15日)、高校(東京都立駒場高校)2年生の私は同級生らと一緒に国会前にいた。60年安保反対の闘争がヤマ場を迎えて、異様な雰囲気…。そのうちに「高校生は帰れ、特に女子は残るな」という指令が来て家へ帰ったのですが、夜のニュースで東大生の樺(かんば)美智子さんが亡くなったことを知りました。そのことが東大を目指した、きっかけの一つでしょうね。「樺さんの後を継ごう」って。

 ところが、私の成績は急降下中。先生から「東大なんてとても無理」と言われたのが悔しくて発奮。入試本番では、5問中2問を捨てて、とにかく3問に集中する作戦が奏功したのか、何とか現役合格できました。

 〈東大文学部西洋史学科入学は37年、女子学生がまだまだ少ないころで、入学早々の女子だけのオリエンテーションでは「結婚できるのは20%、一般企業の採用はほとんどなく、研究職か公務員しかない」と脅される始末〉

 文学部でも女子は少なかった。私のクラスは50人中、女子が7人だけ。あるとき、クラスの男子が他の女子大生と合コンをやっているのが分かり、猛反発。「次にやるときは私たちを誘いなさい」ってつるし上げたんです。でも、実際に参加したのは私一人。女子に裏切られたわけ(苦笑)。あのときは怖かったなぁ。

 既に学生運動とは距離を置いていた。演劇活動に熱中し、本郷の専門課程へ進む3年生のころには、ほとんど講義に出なくなっていましたね。コンクールに優勝して歌手デビューが決まり、大学からは足が遠のくばかり。

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