【西城秀樹さん通夜】郷ひろみさん「背中を見て一生懸命に学んできた」 - 産経ニュース

【西城秀樹さん通夜】郷ひろみさん「背中を見て一生懸命に学んできた」

西城秀樹さんの通夜に参列した郷ひろみさん=25日午後、東京都港区の青山葬儀所
西城秀樹さんの通夜で祭壇に掲げられた西城さんの遺影=25日、東京都港区の青山葬儀所(中井誠撮影)
斎場前に飾られた西城秀樹さん(中央)と共に「新御三家」と呼ばれた郷ひろみさん(左)、野口五郎さんが並んだ写真=25日午後、東京都港区の青山葬儀所
西城秀樹さんの通夜に参列したファン。斎場の前に飾られた写真を熱心に撮影していた=25日午後、東京都港区の青山葬儀所
昭和49年に日本人のソロ歌手として初めて野球場公演を行った西城さんにふさわしく、野球場を模した祭壇=25日、東京都港区の青山葬儀所(中井誠撮影)
西城さんの通夜で、野球場をイメージした壇祭=青山葬儀所(撮影・中井誠)
西城秀樹さんの通夜に参列した野口五郎さん(左)=25日午後、東京都港区の青山葬儀所
郷ひろみさん
 25日営まれた歌手、西城秀樹さんの通夜で、弔問に訪れた歌手の郷ひろみさんは、次のように話した。
 「残念ですね。早すぎますね。残していった子供たちを見ると、余計に胸が痛い」
 「手を合わせているとひしひしと、(実感が)湧いてきますよね」
 「ずっと同時に生きてきた。僕がデビューしたときから毎日のように一緒にいました。一緒にいることが当たり前で育ってきた、という感覚があるのでね。ぽっかりと大きな穴が(心に)空いてしまったという感じですよね」
 「皆さんから『新御三家』というふうにいわれた。秀樹、(野口)五郎、それぞれに独特の個性をもっていたから、そういうふうにいわれたんじゃないかな。(西城さんは)僕にないダイナミックさというか、本当に素晴らしいものを持っていた。少しあとからデビューした僕は、背中を見て一生懸命に学んできた」
 「たしか2年ぐらい前の雑誌の対談で、秀樹、五郎、そして僕という3人で話をしたのが最後でしたね。まさか、こういうふうになるとは思っていなかったので、『歌を愛して、これからも歌い続けていこう』と言っていた。こういうふうになるのは残念です」
 「当事者でないと分からない苦しみ、そういうのがあった(と思う)ので、頭が下がる。相当、つらかったでしょうけれど笑顔で」
 「最初にデビューした五郎が長男で、次男が秀樹で、三男が僕という意識をずっと持っていたし。これからもその関係は変わらないと思っている。次男が先に逝くなんていうのはどうなんだろう。残念でしようがないですよね」
 「僕にないもの、歌唱法、動き、精神性を持っていた。『激しい恋』は、本当に彼を象徴するようなナンバーだった。『傷だらけのローラ』のようなスケールの大きい歌もあれば、『ヤングマン』のように国民がひとつになって笑顔で過ごす時期を作ってくれた。いろいろ忘れられない曲があります」
 「僕たちが、(63歳の寿命を)短いといっても、彼は僕たちの一生分を、一生懸命生きたんだろうなと思う。心から安らかに眠ってほしいと思います」