【追悼】西城秀樹さん 訳詞・天下井隆二さんが明かす「ヤングマン」誕生秘話 - 産経ニュース

【追悼】西城秀樹さん 訳詞・天下井隆二さんが明かす「ヤングマン」誕生秘話

子供たちと一緒に「ヤングマン」を熱唱する西城秀樹さん=昭和56年6月
 ■みかん箱の上でも熱唱
 16日に急性心不全のため63歳で亡くなった西城秀樹さん。生涯最大のヒット曲となった「YOUNGMAN(ヤングマン、Y.M.C.A.)」の日本語詞を「あまがいりゅうじ」名義で手掛け、当時、西城さんのマネジャーも務めていた天下井隆二さん(66)が、“盟友”の死を悼んだ。(兼松康)
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 天下井さんが西城さんと最後に会ったのは、昨年11月。今月16日に西城さんの入院を知り、電話で確認したところ、現マネジャーは「大丈夫です」と返した。死去を知ったのは、その翌日のことだった。
 大学卒業後、昭和49年に芸能事務所に入り、西城さんと「一緒に青春を歩んだ」と振り返る。中でも思い出深いのは「ヤングマン」が発売された54年だ。
 正月コンサートの後、スタッフともどもグアムへ旅行。そこで、西城さんが正月コンサートで披露した米音楽ユニット「ヴィレッジ・ピープル」の曲「Y.M.C.A.」が流れていた。西城さんが振り付きで歌うと、周りにいた現地の人に大ウケしたという。
 「帰国すると、『あの曲を出して』という要望がいっぱい来ていた」と天下井さん。すでに違うシングル曲をレコーディングした後だったが、反響の大きさに急遽(きゅうきょ)「ヤングマン」の発売が決まった。
 同曲の発売は2月21日。発売を決めた1月から、レコーディング、レコードのプレスまで“突貫工事”となる中、西城さんは天下井さんらと神奈川県内のレコード製造工場を訪問。急な作業に追われる女性作業員を前に、西城さんは「残業になると思うけどごめんなさい。よろしくお願いします」とあいさつ。みかん箱の上に立ち、「こんな曲です」と振り付きで歌い、大喝采を浴びたという。
 正月コンサートのとき、同曲を当初は英語のまま歌おうとしたが、「日本語にしよう」とプロデューサーらが発案。訳詞を頼まれた天下井さんが1時間程度で「英語の直訳っぽい歌詞」を書いていた。レコーディングの際は、それを「ヒデキの明るさが前面に出て、聴いたみんなが楽しくなるような歌詞に」との思いでさらに書き直した。
 一部には、この曲の発売に反対するファンも。もともとヴィレッジ・ピープルはゲイをイメージしたユニットだったため、「ヒデキにこんな歌を歌わせるなんて許せない、とカミソリ入りの手紙を送ってきたファンもいた」と天下井さん。だが、西城さん本人は「大丈夫大丈夫、一生懸命歌うよ」と逆に天下井さんらを励ました。その言葉通り、元気いっぱいの西城さんの歌が、全国各地に届いた。
 同曲は見事1位を獲得。誰でもまねできる振り付けとともに、社会現象となった。
 近年、西城さんとは知人の葬儀などで顔を合わせる程度。「元気? お互いに健康に気を使わないとね」と言葉を交わすのが常だった。平成28年の西城さんの45周年記念コンサートで、神奈川県民ホール(横浜市)の楽屋を訪ねた。「久しぶり、と話したぐらい。でもそれだけで通じるものがあった」という。
 「思い出は語り尽くせない。今は『お疲れさま』という言葉しかないですね」と言葉を絞り出した。