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西川氏評伝 悲運にも見舞われた気骨の「ラストバンカー」

厳しい表情で日本郵政の社長退任会見に臨む西川善文氏
厳しい表情で日本郵政の社長退任会見に臨む西川善文氏

 大手銀行の再編を主導した元三井住友銀行頭取で、日本郵政社長も務めた西川善文氏が11日、死去した。82歳だった。

 「カメラは出てけ!」「もう少し離れろ」

 平成21年10月、東京・霞が関の日本郵政本社に怒声が飛んだ。西川善文氏は自らの社長退任会見で、フラッシュを浴びせる多くのカメラをにらみつけた。銀行マン時代から多くの修羅場を経験してきた西川氏の眼光は鋭かったものの、志半ばでポストを追われた無念さもにじんでいた。自ら十数分で会見を打ち切ったほどだ。

 大学時代は新聞記者になる夢を抱いていたが、友人に誘われて住友銀行(現三井住友銀行)を会社訪問した際、役員に気に入られたことがきっかけで入社した。

 西川氏は、取引先だった安宅産業の破綻処理をこなし評価を高めた。安宅の優良部門を伊藤忠商事に引き受けてもらうなどして、不良債権処理に成功。関係者は「怒鳴りまくる人だったが、言い返せないような迫力と説得力があった」と語る。

 西川氏が自著「ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録」で「住友銀行の恥」と打ち明けたのは、経営トップも関与した「イトマン事件」だった。

 住友銀からイトマンを通じ、数千億円がイトマンから暴力団関係者などに流れたとされる。さらにイトマンがかかわった絵画取引には、住友銀の「中興の祖」や「天皇」と呼ばれた磯田一郎会長の親族がかかわっていた。義憤を感じた西川氏は磯田氏の退任を求める部長会の要望書をまとめた。自らの職を賭してトップに辞任を迫る気骨の人だった。

 頭取就任後は投資銀行業務を成長の柱に据えて大和証券との提携に踏み切り、新機軸を打ち出そうとした。そして、さくら銀行との合併に成功し、三井住友銀行を誕生させた。

 だが、UFJグループ争奪戦で三菱東京フィナンシャル・グループ(現三菱UFJフィナンシャル・グループ)に敗れたのは悔しかったはずだ。

 西川氏は平成17年、業績悪化の責任を取って頭取を退任したが、同年に日本郵政社長を引き受けて再び表舞台に。周囲の反対を振り切っての転身には、もう一花咲かせようとの思いがあったようだ。しかし、最終的に栄誉は得られなかった。自民党から民主党への政権交代もあり、翻弄されたのは悲運だった。

 「ラストバンカー」と称された西川氏の死去で一つの時代が終わりを告げた。

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