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【悼-いたむ-】クライスラー元会長・アイアコッカ氏 米自動車業界のアイコン

クライスラー車に腰をかけてポーズをとるアイアコッカ氏=1980年8月、米中西部ミシガン州デトロイト(AP)
クライスラー車に腰をかけてポーズをとるアイアコッカ氏=1980年8月、米中西部ミシガン州デトロイト(AP)

 1980年代初め、米自動車大手クライスラー(現フィアット・クライスラー・オートモービルズ)が放映したテレビCMで、経営トップのアイアコッカ氏がみずから出演し、自信たっぷりに新型車を紹介した。

 「この車の品質をドイツや日本の車と比べてみなさい。もし他に、もっと良い車を見つけられたら、どうぞ、それを買いなさい」

 そんな視聴者への“挑戦状”で締めくくったCMが有名になり、アイアコッカ氏は米製造業を代表する自動車業界の「アイコン(象徴)」になった。

 イタリア移民の家庭に生まれ、プリンストン大学で工学修士号を取得。46年、自動車大手フォード・モーターに入社した。当初は技術者だったが、営業職に転換。独創的な販売手法で担当地区の販売成績トップとなると、昇進の階段を駆け上がり、36歳でフォード部門の副社長に昇進した。

 60年代に開発を指揮したスポーツカー「マスタング」が大ヒットを収め、70年に社長に就いた。46歳の若さだった。だが、歯にきぬ着せぬ物言いで創業家と対立を深め、78年に退社に追い込まれてしまった。

 経営難に陥っていたクライスラーが同氏を呼び寄せたのは、その数カ月後。アイアコッカ氏は工場閉鎖や大規模な人員削減といった経営改革を次々と断行し、小型車やミニバンの新車投入も成功させ、業界で「ミラクル(奇跡)」と呼ばれるV字回復を果たした。

 経営者として名声を得たアイアコッカ氏は、相次ぎ「タイム」をはじめとする雑誌の表紙を飾った。「スター並みの有名人」(米メディア)となった同氏を、ロナルド・レーガン氏を継ぐ大統領の候補に期待する声さえ出るほどだった。

 日本車との厳しい競争にさらされ、再び経営危機に見舞われた92年、会長を辞任した。

 当時は日本車の対米輸出の数量制限を主張。日本の輸出攻勢を支える円安が為替操作によるものだと矛先を向け、日米通商関係者の間では、対日批判の急先鋒(せんぽう)としてならした。

 晩年はパーキンソン病を患い、西部カリフォルニア州の自宅で死去。葬儀は中西部ミシガン州にある自動車の街、デトロイト近郊で営まれた。享年94。(ワシントン 塩原永久)

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