PR

ニュース 経済

【産経抄】10月11日

Messenger

 ユニ・チャームの創業者、高原慶一朗さんが、前身となる会社を設立したのは、昭和36(1961)年である。その翌年には、米国へ視察旅行に出かけた。一番驚いたのは、サンフランシスコのスーパーでの光景である。

 ▼女性客が山積みされた生理用品を、まるでポテトチップスを買うような気楽さでカゴに放り込んでいた。日本ではまだ、薬局の片隅で人目をはばかって売られていた時代である。高原さんはひらめいた。「いいものつくって、明るく売ったらいける」。

 ▼もっとも国内では、坂井泰子(よしこ)さんがすでにアンネナプキンを世に送り出し、9割のシェアを占めていた。高原さんらは商品開発に励む一方で、しらみつぶしに問屋に飛び込み売り込んだ。商品を身につけた高原さんがトイレを借りて取り出し、優秀さを説明しようとして、相手をあきれさせたものだ。

 ▼46年には、ついに生理用品で首位の座を奪う。ただ誰よりも報告したい相手は、この世にいなかった。母親のアヤコさんが前年、67歳で亡くなっていた。通夜の席上、泣き崩れた姿はその後も家族の間で語りぐさになった。本人曰(いわ)く。「強烈なマザコン」である。

 ▼5人兄弟の長男である高原さんの誕生日だけ、鯛(たい)の尾頭付きが用意された。それだけ母親の期待が大きかった。小学生の頃いじめを受けて泣いて帰ると、「みっともないことはするもんやない」と突き放された。試験で学年3番になったと報告しても、返ってきた言葉は「なんや3番か」である。

 ▼以来1番をめざしてがむしゃらに突き進んできた、高原さんの訃報が届いた。87歳だった。会社は幾度もあったピンチを乗り越え、現在は紙おむつでもトップに立つ。高原さんは胸を張って母親に報告できそうだ。

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ