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【戦後70年 高度成長の軌跡(5)】“最後の2人”決意固く 反対乗り越え世界一の鉄鋼メーカーに

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【戦後70年 高度成長の軌跡(5)】
“最後の2人”決意固く 反対乗り越え世界一の鉄鋼メーカーに

合併契約書調印式で握手する八幡製鉄の稲山嘉寛社長(左)と富士製鉄の永野重雄社長=昭和44年3月6日、東京都千代田区(新日鉄住金提供)

 年が明けて間もない昭和43年1月。富士製鉄社長の永野重雄(故人)と八幡製鉄社長の稲山嘉寛(故人)は、日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)頭取の中山素平(故人)を訪ねた。

 「合併しようと思うんです。二人が元気なうちに」

 永野がこう切り出すと、稲山も同意を示すように何度もうなずいた。かつての上司と部下である永野と稲山は40年ごろから合併を探り、具体的な検討を始めていた。両社のメーンバンクだった興銀トップの中山の元にも、二人の意向は伝わっていた。

 「いまやらないと永久に一緒になれない」

 二人の本気を見てとった中山は、その場で協力を約束した。粗鋼年産能力は年間約4160万トン。当時、粗鋼生産世界一だったUSスチールを抜き、世界最大の鉄鋼メーカーとなる新日本製鉄(現新日鉄住金)の「世紀の大合併」は、この日から急速に動き始めた。

■ ■ ■

 八幡と富士の前身は、9年1月に行われた鉄鋼メーカーの大合併で誕生した日本製鉄。満州事変の長期化に伴う鉄の需要拡大を受け、八幡製鉄所を中心とする半官半民の国策企業だ。しかし、第二次大戦後の25年、日本の非軍事化を図る「過度経済力集中排除法」による財閥解体の一環で八幡と富士の両製鉄に解体され、消滅した。

 40年代の日本では八幡や富士をはじめ、日本鋼管や住友金属、川崎製鉄など国内大手6社が積極的な設備投資と増産競争を繰り広げていた。高炉建設にかかる巨額の負担や、鉄鋼の価格競争による収益減で過当競争に陥った。さらに、余剰鋼材を米国などに安く輸出した結果、通商摩擦も表面化していた。

 米国の鉄鋼業界と競争するには、合従連衡による体質強化と、過当競争の排除が不可欠だ。かつて日本製鉄で机を並べていた永野と稲山にとって、両社の統合再編は自然な流れだった。富士出身の新日鉄住金名誉会長、今井敬(85)は「国内外の混乱を収めるリーダーシップを握る会社が必要だった」と語る。

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