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【ニッポンの分岐点】自動車産業(2)軽自動車 ガラパゴスから世界のエコカーへ

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【ニッポンの分岐点】
自動車産業(2)軽自動車 ガラパゴスから世界のエコカーへ

全国旅行連盟青年部全国大会に新型アルトを寄贈した際、あいさつする鈴木修社長(当時)。アルトはスズキに起死回生をもたらした=昭和55年3月

 軽自動車大手スズキの専務だった鈴木修の脳裏を、「倒産」の2文字がよぎった。昭和50年、世界中の自動車メーカーが、大気汚染を防止する環境規制「マスキー法」への対応を急いでいた。だが、スズキは基準を満たすエンジンの開発に完全に乗り遅れた。日本で規制が実施される51年(後に53年に延期)に、国内販売ができなくなることが現実味を帯びてきたのだ。

起死回生の新型車

 各社が環境負荷の低い4ストロークエンジンの開発を進める中、スズキは高出力の2ストロークエンジンで、環境規制に対応する戦略を掲げた。だがその後、新型エンジンでは環境基準を達成できないことが判明する。新たなエンジンを開発するには、時間も技術もリミットが来ていた。

 窮地を救ってくれたのはトヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)だった。トヨタは「排ガス規制は業界全体の問題だ」として、資本関係にあったダイハツ工業の4ストロークエンジンをスズキに供給した。鈴木は「(他社製のエンジンを載せることは)人間の心臓を入れ替えるようなものだった」と、苦い記憶を振り返った。

 不運は重なる。52年には義父の俊三会長が死去し、叔父の実治郎社長も病に倒れた。翌年、48歳で鈴木が社長に就任した当時は、会社全体に沈鬱なムードが漂っていた。

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