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【翻弄された諫早干拓~開門期限あと半年】(1)菅元首相が残した時限爆弾

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【翻弄された諫早干拓~開門期限あと半年】
(1)菅元首相が残した時限爆弾

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 諫早湾干拓事業が計画された背景には、毎年のように洪水や高潮に悩まされてきた諫早湾岸住民の苦難の歴史があった。

 遠浅の有明海に面する諫早湾は満潮と豪雨が重なると水の行き場がなくなり、街中が水浸しになる。昭和32年7月の豪雨では市内だけで死者586人に上る惨劇を招いた。農作物は海水に浸かり大損害を受けた。

 それだけに住民たちにとって堤防は悲願だった。塩害や洪水が防がれる上、干拓で農地が広がるならば、こんなにうれしいことはない。

 そんな住民の意向を受けて西岡武夫前参院議長(故人)の父、西岡竹次郎知事(同)が「長崎大干拓構想」をぶち上げたのは半世紀以上前の昭和27年だった。諫早湾1万1千ヘクタールを閉め切り、干拓地を作る壮大な構想だったこともあり、なかなか実現できず、農水省が規模を3分の1に縮小した上で着工したのは平成元年。19年に堤防が完成し、干拓農地(670ヘクタール)と淡水調整池(2600ヘクタール)を整備する造成事業も20年に終了した。総事業費は2500億円に上る。今は41の法人・個人が入植している。

 ところが、二枚貝タイラギや海苔に甚大な被害が出たとして、平成14年に有明海沿岸の漁業者らが工事中止を求めて佐賀地裁に提訴した。16年に佐賀地裁は漁業被害との因果関係を一部認め、工事中止の仮処分を決定したが、翌17年に福岡高裁は仮処分を取り消し、工事が再開された。このように司法判断が迷走する中で出されたのが22年の福岡高裁判決だった。

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