カシオ計算機会長・樫尾和雄さん 築き上げた独自の視点

悼-いたむ-
カシオ計算機の樫尾和雄会長(6月18日死去)

 まるでおもちゃ、売るのが恥ずかしい-。営業現場からは当初、反発の声さえ上がったという。“電卓戦争”さなかの昭和47年に発売した「カシオミニ」。開発陣に自ら指示し、8ケタ以上が当然だった表示機能を6ケタに減らした。

 一方で価格は他社の3分の1、1万円台に抑えたことで企業中心だったユーザー層が個人へと広がった。「これまでにない製品を出し、新しい市場を切り開く」(弟の樫尾幸雄さん)という和雄さんの発想が、町工場から始まったカシオ計算機を精密機器大手へと躍進させる転換点になった。

 昭和21年に事業を興した長兄の忠雄さん(平成5年死去)が四兄弟をまとめ、次兄の俊雄さん(24年死去)が研究開発、自身は営業や宣伝、幸雄さんが生産管理を担うチームプレーで会社を成長させた。昭和63年に忠雄さんから社長を継ぎ、経営の第一線に立った。

 常に順調だったわけではない。最大の危機は39年。シャープやキヤノンが電子式計算機を発売し、カシオの強みだった電気式が時代遅れとなったこと。販売代理店に契約を解除される苦境の中、和雄さんは全国の文具卸を回って新たな販売網を作り、翌年には電子式を投入して巻き返す。後の海外輸出もOEM(相手先ブランドによる生産)を避け、自ら拠点を作りカシオブランドで販売することにこだわり続けた。

 58年の発売から1億本以上を出荷した耐衝撃腕時計「G-SHOCK(ジーショック)」はまず米国で人気を集めた。幸雄さんは「世界的ヒットにつながったのは、独自の拠点をしっかり築いていたから」と和雄さんの功績をたたえる。

 その後も世界初の液晶画面付きデジタルカメラなどを世に送る一方で、小型液晶や携帯電話の生産から撤退する見切りの良さも示した。3年前に社長を継いだ長男の和宏さんは「事業の採算性だけでなく、“カシオらしさ”を発揮して他社と差別化できるか否かが判断基準だった」と話す。

 今年1月に体調を崩すまで毎日出社し、次の革新的製品を気にかけ続けた。「決して現状に満足しない」(幸雄さん)人生を歩み抜いた。=6月18日、89歳で死去(山沢義徳)