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ニュース コラム

【大阪特派員】山上直子 平城京の「絶景」に幕

 「近鉄ですよ、これ!」

 あのタモリさんが以前、NHKの人気番組「ブラタモリ」で奈良を訪れ、そんな声をあげていた。

 知られたことかもしれないが、「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録される奈良市の平城宮跡(国の特別史跡)の中を、鉄道の線路が横切っている。近畿日本鉄道の奈良線だ。

 大阪や京都から近鉄に乗って奈良に向かうと、終着の近鉄奈良駅の少し手前、大和西大寺(やまとさいだいじ)駅-新大宮駅間を通過するとき、車窓の左に「第一次大極殿」が、右には「朱雀門」が見える。いずれも平成に復元されたものだが、まさに「奈良の都にやってきた!」と臨場感を得る風景だ。

 多くの人が「これでいいのか?」と疑問に思うに違いない。と同時に、またとない“景観”としても親しんできた。

 断っておくと、その区間が開通したのは大正3(1914)年で、近鉄の前身にあたる大阪電気軌道の時代。今は研究が進んで広大な平城宮の姿が明らかになりつつあるが、当時は史跡の外だと思われていた。その後、大正11年に一部が国の史跡となり、特別史跡に指定されたのは昭和27(1952)年のことだ。

 実のところ長年その景観改善が課題だったのだが、ようやくこの3月末に近鉄と奈良県、奈良市がその路線を宮跡の外に移設することで合意した。2060年度の完成をめざすという。

 「やっと決まったか」。実家が近くで、平城宮跡付近をよく車で走っていただけに感慨深かった。その完成に立ち会うことはできそうもないが、一方で、世界中探してもどこにもないだろう車窓からの“絶景”が、なくなるのはちょっと寂しい気もしている。

 ところでこの平城宮跡、日本の文化財保護の歴史に大きな役割を果たしてきたことはご存じだろうか。

 そもそも平城宮とは奈良時代、平城京の宮城があった場所だ。710年に都を定めた元明天皇から、京都にうつった桓武天皇まで8代にわたる。

 ところがその後千年あまり、ほとんどが田畑となって地中に埋もれてしまっていた。人々が価値に気付くのは明治になってからである。

 最初は、明治から大正時代にかけて保存に尽くした植木職人、棚田嘉十郎だ。「かつての皇居が放置されている」と嘆き保存運動に乗り出した。それが実って最初の国史跡指定となる。

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