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【一筆多論】2度あった「ダレスの恫喝」 岡部伸

ネット配信で行われた「北方領土返還要求全国大会」で、ビデオメッセージで挨拶する菅義偉首相=2月7日午後、東京都渋谷区(萩原悠久人撮影)
ネット配信で行われた「北方領土返還要求全国大会」で、ビデオメッセージで挨拶する菅義偉首相=2月7日午後、東京都渋谷区(萩原悠久人撮影)

 英国の首都ロンドン。ダイアナ妃がかつて住んだケンジントン宮殿にほど近いケンジントンパレスガーデンにあるソ連大使館(現ロシア大使館)で1955年6月から9月にかけて、翌年の日ソ共同宣言に至る予備交渉が行われたことはあまり知られていない。

 当時の鳩山一郎首相から全権代表の松本俊一に託されたのは、国交正常化に向けてシベリアなどに抑留された邦人の帰還や漁業問題など数多く、最大の課題は戦争状態の終結と国交回復、とりわけ北方領土問題の解決だった。

 外交団に参加した元外交官の証言によると、重光葵外相から松本全権に下された訓令は、(1)国後(くなしり)、択捉(えとろふ)、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)の4島返還、(2)4島返還が困難な場合、歯舞、色丹の返還だった。

 松本全権とソ連側の全権だったマリク駐英大使との間で6月3日に始まった交渉の当初、日本は4島返還を主張し、交渉は膠着(こうちゃく)状態となった。ところが、ソ連側が8月初め、歯舞、色丹の引き渡しを申し入れ、2島返還で折り合いがつきそうになった。重光の訓令(2)に4島返還が困難の場合、2島返還を目指せとあった。

 しかし、同月27日、外務省から急遽(きゅうきょ)、「4島返還」の訓令が発せられ、松本全権は、国後島と択捉島を含めた4島の返還を求める姿勢に戻ったため、ソ連側も態度を硬化させ、結果、交渉は決裂してしまった。対ソ融和に乗り気でない重光外相の意向が強く働いていた、ともいわれた。

 翌56年7月31日に再開した国交回復交渉で、首席全権を務めた重光外相は、交渉前、4島返還を主張していたが、交渉途中でいきなり豹変(ひょうへん)し、2島返還による平和条約の締結を独断で図ろうとした。しかし、閣僚たちから反対され、交渉は頓挫した。

 さらに重光外相は8月19日、在ロンドンの米国大使館で国務長官のダレスから「もし日本が国後、択捉をソ連に帰属せしめたなら、沖縄を米国の領土とする」(『増補日ソ国交回復秘録』松本俊一著、佐藤優解説、朝日新聞出版)と圧力をかけられた。いわゆる「ダレスの恫喝(どうかつ)」といわれる戦後史の一幕だ。

 米国は、領土問題が進展して日ソが接近することを強く警戒していた。

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