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【風を読む】「姿三四郎」 論説副委員長・別府育郎

 1992年バルセロナ五輪の柔道男子71キロ級3回戦で、背負い投げで攻める古賀稔彦さん(共同)
 1992年バルセロナ五輪の柔道男子71キロ級3回戦で、背負い投げで攻める古賀稔彦さん(共同)

 富田常雄の「姿三四郎」ほど柔道人口増加に貢献した小説はないだろう。戦後の両雄、神永昭夫も猪熊功も姿三四郎に憧れて柔道を始めたと話している。ただし彼ら重量級の猛者は「○○の三四郎」とは呼ばれない。「昭和の三四郎」は東京五輪中量級優勝の岡野功。「平成の三四郎」はバルセロナ五輪71キロ級金メダリスト、24日に53歳で亡くなった古賀稔彦である。

 三四郎のモデル、明治の柔道家、西郷四郎は160センチに届かず、小兵よく大男を豪快に投げる英姿が命名の条件となった。岡野は80キロ以下の体で無差別の全日本選手権を2度制した。古賀の大きく高く相手を担ぎ上げる美しい背負いは三四郎の呼び名にふさわしかった。「柔よく剛を制す」というが、二人の立ち木を根こそぎ引き抜くような豪快な背負いは、剛の技だった。

 相手の背を畳につければ勝てる柔道で、なぜ大きく投げる必要があったのか。古賀に聞いたことがある。佐賀の小学校を卒業すると単身上京し、私塾「講道学舎」で柔道を学んでいた兄、元博の後を追った。学舎で見た兄の背負いはすさまじかった。相手は空中で弧を描き、畳にたたきつけられた。兄のように投げたいと思った。

 兄を教えたのは学舎でコーチを務めた岡野である。古賀とは入れ違いとなったが、兄を通じて岡野の背負いは古賀に伝わった。兄は「岡野先生に憧れ少しでも近づきたかった。実際に先生と組んで感じたものを弟にも教えた。それは厳しかったと思います。でもあいつは俺を抜くためにやりきった」と話し、古賀は「厳しい兄の恐怖から逃れるために、早く技を覚えようと必死だったんです」と話した。

 足の入り方、指の角度、細かい基本の反復練習が続いた。両足を平行にして膝から腰を跳ね上げるため、登下校時には周囲に人がいないことを確かめながら、極端な内股で歩いてガニ股を矯正した。こうして古賀は岡野の背負いを自分のものとし、兄を抜いた。バルセロナで涙の金メダルを獲得した古賀は、痛めた重傷の左足を引きずり、スタンド最前列の兄に駆け寄った。

 こうした五輪のドラマが「三四郎」の名を不動のものとした。7月の東京五輪でも、誰もが認める「令和の三四郎」の誕生を期待したい。

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