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【新聞に喝!】「思わず目にする」記事の楽しみ 美術家・森村泰昌

 新聞というメディアのどこに面白さを感じるかは人それぞれである。私の場合それは、「思わず目にしてしまう」という点にあるように思う。私には私なりの趣味嗜好(しこう)があり、何を選ぶかはどうしてもそれに左右される。電子メディアだとこの傾向はもっと強まり、自分のお気に入りのみによって構成された情報空間が眼前に広がってゆくことにもなろう。紙媒体としての新聞はそれとは異なる。紙面を開けると私の好悪とは無関係に、等価な重みでさまざまな記事が目に入ってくる。結果、通常であれば見過ごしがちな記事にも思わず目が行き、新しい情報を得るチャンスにつながっていく。

 映画「鬼滅(きめつ)の刃(やいば)」を取り上げた加地伸行氏のコラム「古典個展」(産経2月21日付)もそうであった。「『鬼滅』と『鬼誅(きちゅう)』の違い」と題し、「鬼滅の刃」の世界観は日本も含む「東北アジアにおける伝統的関係とは違う」と論じていた。加地氏によれば、「本来、鬼は死者のことであって、悪者ではない」。ただ「死後において悪事を働く者が出てくる」。その時は「鬼の世界の人々が、悪鬼を誅する」、すなわち処罰する。これが「鬼誅」だ。ところが「『鬼滅の刃』の原作者は『鬼』を始めから『悪鬼』と見なしているようであり、それには老生、違和感を覚えた」としている。

 「鬼滅の刃」に関するさまざまな論評を読んでも、「鬼誅」などという熟語は知らされることがなかった。古典に精通する加地氏の一文に新聞紙上で出会えて、私はおおいに勉強させていただいた。

 とはいえ私は、加地氏のご意見を全面的に肯定しているわけではない。例えば「鬼滅の刃」は「鬼」を「悪鬼」として悪者扱いしているわけではない。むしろなぜ鬼たらざるを得なかったかという秘話(あるいは悲話)が重要なエピソードとして必ず組み込まれている。要するに「鬼滅の刃」とは、古典的な鬼うんぬんの話題には回収できない、リアルなヒューマンドラマなのであり、それゆえにあれだけのブームをひき起こしたのだと私は解釈したい。

 といった具合に、違った見解を私なりに見いだせたのも、加地氏の文章に出会えたおかげなのだった。こうして自分とは異なる意見を知り、しかも反論が可能な場があるというのは健全である。新聞は異なる意見に対していつも開かれた場として機能していてほしい。言論世界が規制されるのは、いかなる事態の中であっても不健全だと思う。

【プロフィル】森村泰昌(もりむら・やすまさ)

 昭和26年、大阪市生まれ。京都市立芸大専攻科修了。ゴッホなど名画や歴史的な人物に擬した写真作品を発表。著書に「自画像のゆくえ」など。

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