【一筆多論】新型コロナ禍と格差拡大 長谷川秀行
最近は揺り戻しもみられるが、東京株式市場の日経平均株価が3万円を突破したときは目を瞠(みは)った。1年前には新型コロナウイルス禍で1万6000円台まで下落したが、その後は上昇一辺倒だ。これがバブルかどうかはともかく、コロナ禍が続く中での異様な株高に違和感は拭えない。
数年前の世界的ベストセラー、トマ・ピケティ氏の大著「21世紀の資本」を思い出す。同氏いわく、金融資産や不動産などから得られる収益率は経済全体の成長率より高く、富を持つ者と持たざる者の格差は必然的に拡大する。投資マネーに沸く市場をみると、この見立てにも得心がいく。
コロナ禍は社会の分断やグローバリズムの脆弱(ぜいじゃく)性など、多くの構造問題を再認識させた。所得格差もそうだ。日本を含む各国で格差拡大が懸念されている。
コロナ禍はしばしば、同じく国家的危機の戦争にたとえられるが、格差の観点では両者の差異も認識しておきたい。戦争では富裕層を含む一国の経済基盤が根こそぎ失われかねない。ただ、既存秩序が崩れ、その後の格差縮小につながる面もある。戦後日本をみればよく分かることだ。
一方、コロナ禍はもっぱら経済的弱者にしわ寄せがいく。この1年、非正規社員の解雇や雇い止めが問題化し、女性の雇用も厳しさを増した。暮らしが悪化した一人親世帯も多い。格差が固定化しないよう、支援を必要とする人を政策的に守るのは当然である。
米国の200兆円規模の追加経済対策は所得制限付きの現金給付が柱だ。長期金利上昇などの懸念はあっても低所得層などへの支援を優先した。日本でも政府・与党内に困窮世帯への現金給付の議論がある。
実施時期や対象、金額などが適切ならこうした施策は有効だろう。ただ、これらが非常時の対症療法だという点には留意がいる。コロナ後も見据えた格差是正の最適解はどの国も見いだせていないのが現実だ。