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【スポーツ茶論】大久保が示した義理堅さ 北川信行

FC東京-C大阪 前半、先制ゴールを決め、駆けだすC大阪・大久保(右)=味スタ
FC東京-C大阪 前半、先制ゴールを決め、駆けだすC大阪・大久保(右)=味スタ

 若いころは荒っぽいプレーが多く、「やんちゃ」と言われた。今は「いいパパ」路線。口下手なのは、変わらない。そして、サッカーJ1の最多得点記録保持者である。38歳の大久保嘉人は、現役生活の最後をプロデビューを果たしたチームで締めくくりたいと、15年ぶりにセレッソ大阪に戻ってきた。

 交渉がまとまり、復帰が決まったときのこと。「帰ってくることになったから…」。大久保は大阪に住む女性に電話をかけた。他チームとの争奪戦の末、自身をセレッソ大阪へと導いた恩人である故ネルソン吉村(吉村大志郎)さんの妻、多恵子さんである。

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 まずは、日系ブラジル人2世として育ったネルソンさんについて紹介する。昭和42年、日本サッカーリーグ(JSL)初の外国籍選手としてセレッソ大阪の前身、ヤンマーに加入。翌年のメキシコ五輪で得点王となる釜本邦茂さんとコンビを組み、ヤンマーの黄金時代を築いた。後に日本国籍を取得して日本代表で活躍し、平成22年に日本サッカー殿堂入りもしている。

 来日したばかりのころには、こんな逸話もある。ヤンマーの選手がグラウンドに集まり、練習が始まる場面。ネルソンさんだけが、スパイクを履いていなかった。「買う金がないのか」。見かねたチームのマネジャーが声を掛けると、ネルソンさんはズボンのポケットから折りたたんだ靴を取り出し、見事なリフティングを始めた。当時の日本のスパイクは重量があり、靴底も硬かった。常識を覆すペラペラな靴で柔らかいボールタッチを披露するネルソンさんの姿は、衝撃的だった。まるで、ネコがボールとじゃれ合っているよう。そこから「ネコ」の愛称がついた。

 現役引退後のネルソンさんはコーチや監督を務め、スカウトとしてセレッソ大阪の将来を担う人材の発掘に当たった。長崎・国見高で高校総体、国民体育大会、全国高校選手権の高校3冠を達成した大久保は金の卵だった。「天狗(てんぐ)になるなよ」。鳴り物入りで入団した大久保が道を踏み外さないよう、そうたしなめる一方で、多恵子さんには「こいつは大物になるから」とよく話していた。

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