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【一筆多論】産経特派員が見た戦車 渡辺浩生

国安法の施行翌日、デモ参加者を取り締まるために出動した警官隊=香港(ロイター=共同)
国安法の施行翌日、デモ参加者を取り締まるために出動した警官隊=香港(ロイター=共同)

 「2020年6月30日。目に見えない、中国の戦車部隊が静かに香港に進駐した」。国際理解に貢献した国際報道記者に贈られる「ボーン・上田記念国際記者賞」の受賞が決まった藤本欣也・本紙副編集長による記事「香港は死んだ」。その書き出しである。

 国家安全維持法施行によって陥落した「自由な香港」への追悼記事はボーン賞の選考理由に挙げられた。記者が見た「見えない戦車」とは、人々が希求する自由と民主主義を破壊していった中国共産党の独裁体制に他ならない。

 国際報道の現場で特派員はこれまでも、人間の日常を一変させる「戦車」と遭遇し、翻弄される人々の未来や、背後の独裁権力の冷酷さやもろさを見抜こうと格闘してきた。

 サイゴン、バンコク支局長を歴任しインドシナ報道で1979年度ボーン賞を受賞した近藤紘一氏(86年死去)もそのひとりだ。

 75年4月30日、南ベトナム首都サイゴン。北の革命政府軍がソ連製戦車を先頭に入城した瞬間を目撃し、「はっきりと存在していた『ベトナム共和国』が今、亡びたのだ」と伝えた。

 主要メディアや知識人の多くがサイゴン陥落を「解放」「人民を主人公とした民族和解」と呼んだことに近藤氏は懐疑的だった。

 「陥落の朝を目にしながら自分の体を吹き抜けていった荒寥(こうりょう)とした風の重みを思い出す。…いつかは青空が訪れるであろう、恐らく-。だが、そこに至る道のりは遠く、悲惨だ」。本紙連載に加筆した著作「サイゴンのいちばん長い日」のあとがきにある。

 「南ベトナムの共産化」が苦難の道をたどったことは、自由を求めて大勢のボートピープルが国外流出したことで、裏付けられた。

 東西冷戦が終結した1989年度のボーン賞を受賞した斎藤勉モスクワ支局長(現・論説顧問)は91年1月、ソ連軍によって独立運動が弾圧されたバルト三国の一つリトアニアの首都ビリニュスに飛んだ。

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