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【日曜に書く】論説委員・山上直子 振り返る「女名前」の歴史

女子シングルスで2年ぶり2度目の優勝を果たし、トロフィーを手に笑顔の大坂なおみ=メルボルン(ゲッティ=共同)
女子シングルスで2年ぶり2度目の優勝を果たし、トロフィーを手に笑顔の大坂なおみ=メルボルン(ゲッティ=共同)

 「私たち(女性)はただ、平等になることだけのために多くの事柄で戦ってきた。いまだにさまざまなことが平等ではない」。テニスの全豪オープンで2年ぶりに優勝した大坂なおみ選手の言葉が心に響いた。

 先般の女性蔑視発言に端を発する問題で思い出したのは、江戸時代の大坂にあった「女名前(おんななまえ)禁止」というおきてである。

 享保15(1730)年、幕府は市中に触れを出して女性の家督相続を規制した。女名前とは、世帯主や当主の立場の女性の名義人といった意味だ。

 ところがその後「女名前三年」という特例ができる。一定の条件下で3年に限り、男性の跡継ぎが決まるまで女名前での商売が許されたのだが…。

封建社会の中で

 その制度を知ったのは、作家の高田郁(かおる)さんが刊行中の人気時代小説シリーズ『あきない世傳(せいでん) 金と銀』(ハルキ文庫)の中でだった。呉服商として商いの道を志す女性の波瀾(はらん)万丈の物語で、「女名前」は重要なテーマとして描かれる。

 実際、当時の大坂には、江戸にはなかった「女名前禁止」の法があった。商家の当主が亡くなり、息子など適当な男性がいない場合、その妻や娘が跡を継ぐこともあっていいはずだが、なぜ禁じられたのか。

 昭和32年の論文「女名前三年」(春原源太郎、『日本女性史論集3 家と女性』<吉川弘文館>に再録)によると、「商人である町人が債務を免れるための手段として幼少、女名前を用いた脱法的行為の弊害が指摘される」という。当時、横行する財産隠しや違法行為の隠れみのになっていたというのだ。

 では、商家の女性(の名)は利用されていただけかというと、そうでもない。

ある女性の記録

 後の天保8(1837)年の記録に、3年の女名前が許可された亀嶋屋みきという女性がいたそうだ。当主を亡くすと女名前を願い出て認められ、その間に養子を迎え、血縁女性と結婚させて家を次代につないだという実例があった(真下道子「近世大坂の女名前-法規制と実態」から)。

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