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【日曜に書く】論説委員・河村直哉 公布75年のGHQ憲法

◆突貫工事

 75年前、昭和21年の2月末。法制局の佐藤達夫は首相官邸の「薄ぐらい廊下の突き当り」にある放送室にいた。

 日本を占領していた連合国軍総司令部(GHQ)民政局が書いた憲法草案が渡されていた。それをもとに佐藤は放送室にこもって日本案を書いた。国務大臣の松本烝治(じょうじ)も手分けした。

 GHQにせかされ、3月4日には松本と佐藤は、日本案と松本の説明書を持って司令部に行っている。「うなぎの寝床のような狭い室」で説明書の英訳がなされていた。

 日本案の審議に入り、佐藤がGHQの相手をした。もとの草案と随分変わった日本案をもとに審議してもむだだ、とGHQがいう場面もあった。

 「このような重要な条文を削るとは何事か、ということで一も二もなく入れさせられた」ものもある。「文句なしに削られた」条文もあった。「イエスかノーかでせめたてられる」こともあった。

 佐藤は一晩中一睡もせず、審議は翌5日の午後4時ごろまでかかった。6日、政府は憲法改正草案要綱を発表した。

 以上、佐藤の「日本国憲法誕生記」からまとめた。憲法誕生の現場を記した一級資料だが、いい読後感には程遠い。

◆「左寄りの道」

 そもそもGHQ草案自体が、2月上旬に10日ほどで書かれたものである。政府が要綱を発表するまで、突貫工事以外の何物でもない。

 産経新聞は昭和50年6月24日、アメリカ政府の文書を報じている。GHQ草案作成者の一人、ハッシーの文書。民政局長ホイットニーの、会議での発言が書き留められている。

 「(日本側の)外相らとの会談で、天皇を護持し、彼ら自身の地位を維持するために残された唯一の可能な道は、はっきりと左寄りの道をとる憲法を受け入れ、承認する以外にないということをわからせるつもりである」

 日本が草案を受け入れない場合、ホイットニーは最高司令官マッカーサーからこういわれていたという。

 「力を使うとおどすことだけでなく、力を用いてもかまわない」

 佐藤前掲書によると、日本案からは削られたがGHQ草案には、土地や天然資源の所有権は国家に帰属するという条文もあった。国務大臣の松本は「共産主義の条文じゃないか」といったという。GHQは占領当初、容共的だった。

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