PR

ニュース コラム

【大阪特派員】山上直子 渋沢の執念、3度目の京阪

京阪電車3000系「コンフォートサルーン」特急電車(プレミアムカー連結前)=京阪本線・西三荘駅
京阪電車3000系「コンフォートサルーン」特急電車(プレミアムカー連結前)=京阪本線・西三荘駅

 「渋沢翁の執念といえるかもしれません」

 訪ねた京阪ホールディングスの本社(大阪市中央区)でそんな話を聴いた。大阪・京都・滋賀に路線を持つ大手私鉄の一つ、京阪電鉄。明治39(1906)年に創立し、43(1910)年に開業したがその創立委員長が明治の実業家で「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一(1840~1931年)だったことはあまり知られていない。

 渋沢といえば、まもなく始まる今年のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」の主人公で、新一万円札の顔としても注目されている。埼玉の豪農の家に生まれ、一橋慶喜(後の第15代将軍徳川慶喜)に仕え、さらには明治政府に出仕した後、実業界に転じた。

 電力、金融、ガスなど設立や支援に関わった企業は500超、教育機関や団体はそれ以上。そのなかには数多くの鉄道が含まれ、首都圏では東急が有名だ。

 駆け出し経済記者のころ、明治の経済発展に尽力した人物としてよく「西の五代(友厚)、東の渋沢」と聞いた。渋沢翁といえば関西では紡績の名門、現在の東洋紡の創業者として知られたが、さほど関西に縁があるとは思っていなかったのである。

 その“執念”というのはどういうことか。実に3度の挑戦を経て京阪の開業にこぎつけたという。背景には当時のさまざまな事情があり、一方の渋沢にも京阪開業への確固たる信念があったようだ。

 渋沢が鉄道に初めて乗り、その力を体感したのは、慶応3(1867)年に開かれたパリ万博に使節団として徳川昭武(あきたけ)(慶喜の弟、後の水戸藩主)に随行したときである。

 「私はつくづくその便利なのに感心して、『国家はこのような交通機関を持たないと発展はしない』と思い、ヨーロッパのこのような物質文明の発達をうらやんだ」(「現代語訳 渋沢栄一自伝」平凡社新書)と書いている。

 では日本の鉄道はそのころどんな状況だったのか。

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ