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【日曜に書く】論説委員・中本哲也 平成の大震災を省みて

阪神大震災26年 1・17の集いを前に紙灯ろうに灯りがともされ「がんばろう」の文字が浮かんだ=16日午後、神戸市中央区(彦野公太朗撮影)
阪神大震災26年 1・17の集いを前に紙灯ろうに灯りがともされ「がんばろう」の文字が浮かんだ=16日午後、神戸市中央区(彦野公太朗撮影)

◆阪神の教訓「耐震化」

 鎮魂の日を迎えた。

 平成7(1995)年1月17日早朝、兵庫県南部を震源とするマグニチュード(M)7・3の直下型地震が発生した。

 神戸市を中心に近畿圏の広い範囲で建造物が倒壊し、通電火災が相次いだ。

 死者 6434人。

 多くは、建造物の倒壊による圧死だった。

 筆者は神戸で生まれ、4歳のころまで育った。長田区のアパートや銭湯までの道筋、六間道の商店街、チンチン電車の記憶がかすかにある。

 阪神大震災を教訓に建造物やインフラの耐震化は大きく前進した。東日本大震災では建物の被害は小さかった。

 しかし、5年前の熊本地震では家屋倒壊により多数の死者を出し、災害対応の拠点機能を失った自治体庁舎もあった。

 M7級の直下型地震は、首都圏をはじめ日本列島のどこでも起こり得る。阪神の教訓は、これから先も更新を続けなければならない。

◆東日本の教訓「避難」

 3月には、東日本大震災から10年になる。

 死者1万5899人、行方不明者2527人。ほとんどが大津波による犠牲者である。

 災害と防災の報道、論説に携わっていながら、命を救うことはできなかった。痛切な悲しみと悔しさ、犠牲者と被災者に対する「負い目」は消えない。消してはならない、とも思う。

 平成11年から14年にかけて、盛岡支局と東北総局(仙台)に合わせて3年間勤務した。人も自然も食べ物も、東北はやさしかった。東京で科学と防災を担当するようになってからも、いつかは東北のどこかの支局に戻る気でいた。

 貞観津波(869年)の記事を書いたのは21年7月、大震災の1年8カ月前だった。取材を申し込むとき、東北大学の今村文彦教授に「宮城県の人は貞観津波のことを知っておくべきですよね」と話し、今村教授が強く同意したのを覚えている。

 「1000年間隔で襲う津波 仙台内陸部まで遡上(そじょう)」という見出しで、平安時代に仙台平野を襲った大津波の再来が「いつ起きてもおかしくない」と警鐘を鳴らした。

 22年3月には「地震・津波では思い込みや自己判断を捨て、迅速に避難行動をとることが何より大切だ」と書いた。19年2月にも「津波警報 なぜ逃げないの」という見出しで同じ趣旨の記事を書いている。

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