PR

ニュース コラム

【一筆多論】中国共産党と日本風湯船 河崎真澄

天安門=北京(共同)
天安門=北京(共同)

 中国共産党が1921年7月23日から「第1回全国代表大会(党大会)」を行った建物が上海の旧フランス租界に残されている。共産党誕生の地として記念館に改築された建物を訪れたとき、当時の館長が、こんなことを教えてくれた。

 「この部屋に木製の日本風湯船が置かれていた」

 党大会が行われたのは少し広めの応接間のような部屋だ。木製の湯船があったと館長がいうのは、その隣の土間のような小部屋だった。共産党誕生と日本にどんな関係があったのか。

 建物は結党メンバーだった李漢俊の兄、李書城の住居だった。李漢俊は東京帝大(現東京大)に、李書城は陸軍士官学校に学んだ日本留学派。2人とも風呂にゆっくりつかる日本の生活が懐かしかったらしい。

 館長はさらに、「中国共産党の思想背景には、ソ連共産主義の国際組織コミンテルン以外、日本の影響も大きかった」と続けた。

 毛沢東を含む13人の第1回党大会出席者のうち、李漢俊や董必武ら4人までが日本留学派。京都帝大(現京都大)教授だった河上肇らから、マルクス主義で強い影響を受けたという。

 20世紀初頭の中国人にとって、明治維新を経て近代化に突き進んでいた日本はアジアの手本と映った。

 著名な作家の魯迅も、清朝を倒して12年1月に「中華民国」を成立させた革命家の孫文も、日本とのかかわり抜きには語れない。

 一方、アヘン戦争敗北の残滓(ざんし)として、上海市内に存在した租界を共産党誕生の地に選んだのはなぜか。

 館長は「孫文や蒋介石らの勢力や(なお闘争を続けていた)軍閥の干渉を排除するには、治外法権だった租界が都合よかった」と話した。共産主義者を取り締まった捜査当局も、租界には手出しできなかった。

 党大会に同席したコミンテルンの活動家やオランダ共産党政治局員も、租界だったからこそ難なく上陸できた。租界の存在なしに共産党は当時、容易に結党などできなかったはずだ。

 記念館の展示には、ろう人形で第1回党大会を再現したコーナーがあった。当時、湖南省の地方代表にすぎなかった毛沢東のみが立ち上がり、初代総書記らの人事や、党綱領を決めたように見える演出だった。

 49年10月に「中華人民共和国」を成立させ、生涯にわたり最高権力を持ち続けた毛沢東だけが、主役扱いだ。李漢俊らが日本で共産思想を学んだことは、何ひとつ紹介されていない。

 実は、共産主義や民主主義、政治、法律や委員会という概念も言葉も、封建時代にはないものばかり。欧米から先に学んだ日本で訳された「和製漢語」を李漢俊らがそのまま転用し、発音のみ中国語読みした。

 人民も共和国もそう。7文字からなる「中華人民共和国」のうち、5文字までが和製漢語。もともとあったのは「中華」だけだ。

 第1回党大会に出席した13人のうち日本留学組4人が中心となり、和製漢語を頼りに近代中国を形作る共産思想を作ったようだ。

 中国でこうした日本との結びつきは教えられず、知る人はほとんどいない。

 今年は中国共産党の誕生から100年。結党メンバーらが上海にあったフランス租界の一角で湯船につかり、ときには日本語も交えながら天下国家を議論したシーンを想像すると、不思議な感覚におそわれる。(論説委員兼特別記者)

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ