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【日曜に書く】2年連続五輪年の正月に 論説委員・別府育郎

 1964年10月10日、東京五輪の開会式で入場行進する日本選手団=国立競技場
 1964年10月10日、東京五輪の開会式で入場行進する日本選手団=国立競技場

新年の辞

 あけましておめでとうございます。2年連続でオリンピック・イヤーの幕開けです。

 めでたいのだか、めでたくないのだか、わけの分からぬ口上だが、形はどうあれ、昭和に続く2度目の東京五輪・パラリンピックが無事に開催されることを願ってやまない。

 昭和の東京五輪は57年前となる。筆者は当時、小学1年生だったので、不確かながらも多くの記憶がある。それはショランダー、チャスラフスカ、ジャボチンスキーといった初めて覚える外国人の名前であったり、わが家にようやくお目見えしたテレビへの興奮だったりした。

サトウハチロー

 五輪年の最初に昭和の東京五輪を振り返っておきたい。当時の産経新聞を引っ張り出して最も印象深いのは、日々の紙面を飾る、詩人、サトウハチローによる珠玉の言葉の数々だった。そのほんの一部を紹介したい。還暦以上の方には記憶喚起の一助に、以前の方には想像の糧となれば、の思いを込めて。

 【開会式のスタンドにて】

 《スタンドの上高く/ずらりとならんだ/九十四か国の旗、旗、旗/旗がなびくので/風があるのがよくわかる/風は輝きある秋風/旗も風もわたしと同じ思いでいるに違いない》

 昭和39年10月10日、快晴の空の下での開会式。詩人の言葉が高揚感に躍っている。

 【三宅義信君への手紙】

 《あげたまえ あげたまえ/ぐいとさしあげたまえ/あなたの胸のちいさいちいさい日の丸が/ボクの目の中で大きく大きくひろがる》

 重量挙げ男子フェザー級で三宅が優勝し、君が代とともに、日の丸が掲揚された。

 【ありがとう円谷幸吉君】

 《走る-これが自分にあたえられた使命/円谷のカラダからそれがあふれてる》

 円谷は陸上男子1万メートルで6位に入賞し、大会終盤のマラソンでは3位で表彰台に上がった。4年後、悲劇の人となる。

 【百メートルは風だ光りだ】

 《ピストルの音がした時は/手足のはえた風となり/ゴールにつきささる時は光りにかわる/これが百メートル競走だ》

 米国の“弾丸”ボブ・ヘイズが10秒0で優勝した。次のメキシコ大会から五輪は9秒台の勝負に突入する。

 【鉛筆もノートも楽しく】

 《月にとぶむささび/とんぼがえりのリス/宙返りのつばめ/黒ひょうのしなやかさ/サラブレッドのうつくしさ/はばたく大鳥のたくましさ》

 小野喬、遠藤幸雄ら体操ニッポンの超人演技に詩人の持つ6Bの鉛筆がノートに文字を走らせた。堂々の優勝に詩人は《帰り路では/ひさしぶりに口笛をふこうか》とも記している。

 【すばらしきかなアベベ】

 《聖火がアベベを祝福している/ゴールにとびこんだアベベは/両手を二三回まわし/腰をゆったりとかがめ/話しかけるように青い芝草をなでた/優雅な王者アベベ》

 ローマ大会に続くマラソン2連覇を圧勝で飾ったアベベは東京五輪を代表する英雄だった。メキシコ五輪後に交通事故で下半身の自由を失うが、障害者スポーツを続けた。

 【勝者には祝福を】

 《勝者には讃辞(さんじ)と祝福を/敗者にはいたわりとなぐさめを/わたしからみなさんに心からお願いいたします》

 五輪に初採用された柔道は無差別級決勝で神永昭夫がオランダのヘーシンクに敗れ、お家芸は面目を失った。詩人の言葉がなんとも温かい。

惜別

 【さよならオリンピック】

 《肩をくみ 手をつなぎ/帽子をふり足をはずませてはしゃいでいる/だがこのはしゃぎも/さびしさをまぎらわせるためなのだ》

 東京五輪は10月24日、国立競技場で閉会式を迎えた。整然と入場するはずの各国選手団は入り乱れ、思い思いに笑顔でじゃれ合い、はしゃぎ回った。混沌(こんとん)と自由の乱舞が、後の五輪閉会式のスタンダードとなった。

 サトウハチローの詩は最後に「さよなら」を連呼し、《最後の「ら」はボクののどからはどうしても/どうしても 出てこなかった/出てこなかった》と記した。惜別の思いである。

 今夏に開催予定の東京五輪も大会の成否は、閉会を惜しむ気持ちを、どれだけ多くの人が持てるかにかかっている。

 消える聖火に多くの国民や世界中の人が涙するようなら、大成功だったと胸を張れる。(べっぷ いくろう)

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