【朝晴れエッセー】障子張り・12月30日
たった4枚だけど障子を張り替えた。黄ばんだ紙を剥がし、桟を拭っていると懐かしい情景がよみがえってきた。
私の幼少時は、家族総出の大掃除があった。家具や畳など全てを庭に出し、父母や長兄たち大人は屋根裏のすす払いから床下までくまなく掃除をした。
その間子供たちはリヤカーに障子を乗せ、馬洗い場に行った。そこで姉2人は障子を水際に運び、へばり付いた紙や汚れをヘチマで擦りおとした。
それからの姉たちは楽しそうに歌いながらこの作業をくり返していた。幼い弟のことなどほとんど気にせず歌っていた。
障子は何枚あったのだろう。すべて洗い終えてから家に戻るまで、姉たちはずーっと歌っていた。まるで知っている歌すべてを歌いきるかのようだった。
持ち帰った障子は母手作りの糊(のり)を使って、父が巻紙を開くように1枚1枚丁寧に張っていた。記憶が鮮明なのはこれだけだ。
ラジオからもかわいい歌が流れてくる時代だった。私にとっての2人の姉は「歌のお姉さん」そのものだった。姉たちのおかげで、私も歌や音楽が大好きになった。
現在ハーモニカボランティアなどと称していられるのは、こうした歌好きな家庭で育ったからだと感謝している。
山中詔八(76) 栃木県野木町