【スポーツ茶論】よい組織をつくる発想 蔭山実
東京ドームにある野球殿堂博物館をこの秋、初めて訪れた。それまで関係者から幾度となく勧められていたが、なかなか時間が合わずにいた。いまになったのにはきっかけがあったのだが、それは、今年、殿堂入りした功労者の中に慶大野球部監督だった前田祐吉さんがいたことである。
「エンジョイベースボール」。慶大の目指す野球にある言葉だ。しかし、その真の意味はあまり伝わっていないように思う。前田さんはその考えの下で大きな業績を残した指導者だ。原点に戻ってそれを学ぶのに、殿堂入りを記念する展示品の“前田ノート”をぜひ見ておきたかった。
高知県立高知城東中(現・県立高知追手前高)で甲子園に出場し、昭和24年に慶大に進学、野球部に入る。「上級生のうまさ、力強さにびっくり」したという。35年に監督となり、1年目に早慶6連戦を経験。57年に2度目の監督就任。60年の東京六大学野球秋季リーグ戦では、開幕戦を引き分けた後、10連勝で無敗優勝を達成した。慶大としては57年ぶりの快挙だった。
□ □
ノートは学生野球に対する見解を基に講演会などに備えて考えをまとめるためにつづったものである。鬼籍に入られて5年近く、いまは慶応義塾福沢研究センターに所蔵されている。今回の展示会ではその一部を見ることができる。
エンジョイベースボールを「野球を楽しめばいい」と直訳的に受け止めているようでは分かったことにならない。ノートにはこうある。「全力を尽くす緊張感」「各人が役割を果たす」「創意工夫の楽しさ」。これらを実践できてこそのものなのである。
別のページには関連して「伝統の重み→感じない。何かを加えよう」とある。受け継ぐだけではない伝統の“重み”が逆に感じられる。英国流の発想を思い浮かべるが、現代風に言えば、イノベーションがなければ、伝統も廃れていくということだろう。
その上の部分には、箇条書きで「監督の役割」が記されている。「優れた野球観を持つこと」「技術の追求、探求心、研究心」「積極性、味方に有利に読む」「独創性」「ユーモア、明るさ」。発明に取り組んだ前田さんらしいが、イノベーションの精神は指導者自らが持ち合わせているべきものなのである。
□ □
こうした考えは企業のリーダーシップを考える講演会の基礎にもなった。ノートには「痛烈な敗戦こそ、リーダーシップ確立とパワーアップのチャンス」とあり、野球の経験がうかがえる。「戦いながらパワーアップを」とはビジネスマンには厳しいかもしれないが、リーダーの条件の一つに「状況判断と情報処理の能力」とあり、そのためには広い教養と専門知識、国際感覚が必要と付記されていた。
そういえば、2度目の監督時代、選手に「ベンチを見るな」とよく言っていた。状況に応じて指示を仰ぐことなく自分で判断してプレーをしなさいという指導だ。ノートには「監督の言うことを聞きすぎるな」「個々の充電なくして真のチームワークはない」ともある。各自が創意工夫を凝らし、相互に効果を生み出していく。よい組織をつくる“エンジョイ”の本質は、野球に限ったことではない。
コロナ禍の影響もあって、プロ野球の日本シリーズではなく、都市対抗野球大会で盛り上がっている東京ドーム。その一角に、厳しい時代に社会を前に進める知恵が展示されているように感じた。6日まで。それぞれに考える機会になればと思う。