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【日曜に書く】論説委員・森田景史 競技者よ「戦う言葉」を持て

 「感動」や「興奮」という言葉の値打ちが随分下がったな、と感じることが多い。とりわけ速報性がものをいうスポーツ取材・編集の現場では、一本の記事に与えられた鮮度が確実に短くなっている。

 インターネット上では時々刻々と、一つの情報が次の情報へと更新されてゆく。読者に「消費」される間さえ与えられず、過去へと押し流されてゆく哀れな記事も少なくない。

「消費」される物語

 情報の取り扱いに見るこの軽さは、中身の軽さともつながっている。履き潰した靴は誰も磨こうとしない。それと同じで、質より量の記事を書き散らす中で、書き手が「言葉磨き」を怠ったツケでもある。

 〈言葉は浅く/意(こころ)は深く〉

 詩人の堀口大学は、『わが詩法』という一編で作詩に臨む心がけを説いた。文筆業の末席を汚す身には、読むほどに苦味を覚える戒めでもある。

 世の中が速度重視へと傾く中で、詩の1行を忠実に実践しようとする風潮は、果たして残っているだろうか。職務過怠の責めを筆者自身が負わねばならないのは承知の上で、本稿を書いている。

 消費されるのは、個々の情報にかぎらない。多くの研究者が指摘するように、ネット時代のいまは、物語という商品も大量生産と大量消費を繰り返している。ことに「五輪」というマジックワードがからむと、商品の中身は不思議なほど問われなくなる。玉石混交の物語記事がネット上にあふれれば、世の中が五輪やスポーツを低く見るのも自然な成り行きだろう。

当事者意識欠く人々

 新型コロナウイルス禍の世界的な広がりで延期された東京五輪・パラリンピックは、いくつかの世論調査を見るかぎり、優先順位も期待度もその低さに驚かされる。とはいえ、メディアが負うのは責任の一端でしかない。世の中の五輪・スポーツ軽視は、日本のスポーツ界が自ら招いた流れだと思う。

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