【思ふことあり】スポーツジャーナリスト・増田明美 保護よりも機会を
世界初の車いすだけのマラソンの国際大会「大分国際車いすマラソン」はコロナ禍の影響で海外選手の招待が困難なため延期となり、第40回の記念大会は来年に開催されることになった。そのため、今年はレース自体を行わないかと思われていた。しかし、11月15日、秋晴れの中で国内選手だけの熱い戦いが繰り広げられた。
私はテレビ中継のゲスト解説で大分へ。「大分は日本の障害者スポーツ発祥の地。車いすマラソンの灯を未来へつなぐことが大切なんです」と、大会会長の広瀬勝貞・大分県知事は話した。パラスポーツの聖地としてのプライドを感じた。
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ところで、大分がパラスポーツの聖地といえる理由は、大分出身の中村裕さんという医師の存在にある。整形外科医だった中村さんは、1960年に英国に留学し、日本のリハビリテーションにスポーツを取り入れた。
64年の東京パラリンピックでは選手団長を務め、欧米の選手たちがみな、仕事を持ちながら競技をしていることに衝撃を受ける。そして、翌65年、別府市に「太陽の家」を創設。障害者の仕事での自立と障害者スポーツに情熱を注ぐことになるのだ。
そんな中村さんの歴史を学ぶため、またパラスポーツを体験するための施設が今夏、「太陽の家」の敷地内にオープンした。「太陽ミュージアム」である。車いすマラソン大会の前日、私は念願だったミュージアムへと向かった。
ご案内いただいた館長の四ツ谷奈津子さんはかつて中村さんの秘書を務めていた方。「中村先生はじっとしていない人でした。せっかちでしたよ」とほほ笑んだ。
展示品の中には76年に中村さんがイスラエルのテルアビブで買ってきたという当時700万円の機械も。そのほか、重度障害者が舌の動きだけでテレビや電話を操作できる機械などさまざまあった。中村さんは障害者の生活の自立には特にこだわりも持っていたそうだ。