【古典個展】大阪大名誉教授・加地伸行 空虚な学術会議の実態
老生、人生の大半を大学人として暮らした。しかし、自己の研究室関連以外の人事に対しての発言すなわち異議を申し立てたことなどなかった。
世には<大学の自治>というものがある。その中心は人事の自治である。ただし、組織であるから、最終決定が出た後は、それに対して拒否できる権利などどこにも存在しない。
この原則は、さまざまな組織において準用されている。例えば、この9月末、日本学術会議が首相(任免権者)に提出した新会員候補者の内、6人が拒否されたが、それに対して、原則上、同会議は拒否できない。それが正しいのである。
もしも不満ならば同会議の会長は辞任して抗議することだ。会員においても不満な者は辞任することだ。しかし誰一人抗議辞任していないではないか。
もっとも会員が辞任しても政府は痛くも痒(かゆ)くもない。その代わりの人材は山ほどいるから。
会長以下、相当数の者が今回の人事結果に不満であるならば、そんな政府とさっさと縁を切り自主独立を図ることだ。うるさい政府と無関係となり、自分たちが費用を負担して独立独歩の活動をすればよいではないか。なぜそんなに政府に擦(す)り寄るのか、その気持ち分からぬ。
老生、へそ曲がりであるから、日本学術会議などという仰々(ぎょうぎょう)しい名前で中身は空虚な組織など政府組織としては無用の長物だと思っている。
例えば、同会議は軍事研究に反対という主張をし、その対象として北海道大学における某研究を攻撃し研究を中止させた。
しかしそれは近視眼的観点にすぎない。なぜなら、現代工業においては、大半の工作物は、広い意味で軍事とつながっているのである。例えば、ネジ一つでも、それが正確に作られていなければ、その機械は動かないのだ(拙著『令和の「論語と算盤(そろばん)」』産経新聞出版)。
率直に言って、日本学術会議なる組織に対して、日本の研究者のほとんどは無縁である。