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【風を読む】「俺たちの旅」 論説副委員長・別府育郎

森川正太さん(昭和59年9月撮影)
森川正太さん(昭和59年9月撮影)

 元来、人見知りである。初対面の人と上手に話せないというのは、新聞記者としては致命的である。それでも、そこそこ長い記者生活の中で初対面の取材後、そのまま飲みに誘われた相手が4人いる。その一人が、俳優の森川正太さんだった。

 昭和59年、夕刊フジのインタビュー欄「ぴいぷる」の取材で、東京・六本木で一通りの話を聞くと、「この後、少しどうですか」と誘われた。少しでは済まず、店のはしごを重ねるごとに西へと流れ、最後は明け方近く、吉祥寺駅近くの屋台で飲んでいた。

 子役時代の芸名は沖正夫。後に似た名の俳優が売れて芸名を変えた。「おれは男だ!」「飛び出せ!青春」「俺たちの旅」「俺たちの朝」。青春シリーズには欠かせぬ名脇役だった。酒席での実像は、役柄そのままの三枚目と、芝居に真摯(しんし)な二枚目の間を行き来した。

 12日、胃がんのため亡くなった。67歳だった。平成25年7月12日、産経新聞の投書欄「談話室」に、森川さんの投稿が掲載された。紙面では要約されたが、自筆の原文が手元にある。故人をしのび、そのまま紹介したい。

 「あの風は…」

 もう何年も前の話だ。「思えば遠くへ来たもんだ」というドラマの撮影で宮城県は気仙沼の港に来ていた。長い旅路になるのであろうか、大きな漁船が港を離れて行く。その時だった。私達ロケ隊の脇を猛スピードで走り抜ける真っ赤な軽自動車。防波堤の先端まで車を走らせ、やおら車から降りると去り行く船に向かい、スカートの前を捲(まく)り上げ、「父ちゃん!!元気で戻って来てよ~待ってるからね」と、涙声で叫ぶ女性の姿が……。

 多分、別れを惜しむ彼女なりの表現方法だったのだろう。正にドラマのワンシーンの様だった。我々ロケ隊も、冷やかす所か、涙する女優までいた。何故(なぜ)か私はその時、心地の良い「風」を感じていた。

 宿に戻ると、出産の為、里帰りしていた女房の母から電話が入った。「また女の子だよ。名前は決まってるの…?」と言う問いに、「うん、風子にするわ」。私の中に、あの風が吹いていたのかもしれない。その次女も、今年で32回目の誕生日を迎える。 俳優 森川正太

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