PR

ニュース コラム

【日曜に書く】論説委員・河村直哉 学術会議の変わらない戦後

 理念論の背景には戦争への反動がある。そのころ南原はこう述べている。「新憲法は擁護されなければならない。(略)国家主義と、軍国主義とを清算し、新しく国際社会の名誉ある一員として、日本の生きゆく道は、これよりほかにはないからである」(「人間と政治」)

 「三たび-」の先のくだりは丸山による。丸山は別のところで、戦後の知識人が戦争について「悔恨共同体」を形成したと振り返った。それゆえ広範な知識人に、「反戦の旗を守りぬいた」共産党への「同伴者的追随の態度」がはぐくまれた、とも(「後衛の位置から」)。

 マルクスとレーニンによる共産主義思想は、実際は単なる「反戦」などではない。しかし丸山の記述から、戦後間もない日本で、平和憲法の擁護と、容共的な全面講和論が同時並行で起こった事情が読み取れる。

 戦争への反動は左傾した思潮となり、戦後日本を長く覆った。憲法改正が議論されていた昭和33年、進歩的知識人らは憲法問題研究会を作り、護憲勢力を形成した。

国益を損ねる

 共産主義や憲法議論を離れたところでも、いまなおこの反動が残っているのを感じる。

 会員候補の任命問題で日本学術会議が注目されている。任命方法の変更について政府による説明はあるべきだが、根っこのところを考えたい。

 学術会議の昭和25年の声明はそれまでの科学者の態度について反省し、「戦争を目的とする科学の研究には、今後絶対に従わない」とした。反動としての悔恨共同体の姿が見える。自衛戦争のための研究もだめということになる。

 42年にも同様の声明を出し、さらに平成29年の「軍事的安全保障研究に関する声明」でそれらを継承するとした。防衛省が創設した研究助成制度も批判している。この硬直した姿勢は国益を損ねる。

 理念を追究する学問はときに現実を超越した次元で、現実を批判したり理論化したりする。しかし学術会議は年約10億円の予算が国庫から計上された現実の存在でもある。

 あくまでも思考実験だが、他国に攻撃されて日本という国がなくなったらどうするのだろうか。そのときには現実の学術会議もなくなるのである。

 安全保障には常に現実的でなければならない。非武装による平和をなお考えるなら、世間知らずのそしりを免れ得ない。

 現在もこの問題で一部知識人や野党、朝日新聞、毎日新聞などがしきりと政権を批判している。日本の戦後の構造はあんまり変わっていない、と思ってしまう。(かわむら なおや)

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ