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【日曜に書く】論説委員・河村直哉 夏、戦没者の遺志を思う

75回目の「終戦の日」を迎え、靖国神社には多くの参拝者が訪れた=15日午前、東京都千代田区(川口良介撮影)
75回目の「終戦の日」を迎え、靖国神社には多くの参拝者が訪れた=15日午前、東京都千代田区(川口良介撮影)

 原民喜の小説をいくつか読み返した。

◆類いまれな「鎮魂歌」

 広島で原爆に被爆し、その体験をもとにした「夏の花」を最初に読んだのは、中学生のころではなかったかと思う。記憶に残ったが、原に対しては原爆作家という類型的な印象しか持ってこなかった。

 平成7年の阪神大震災の後、戦争などでの破局的な体験をもとにした作品をよく読むようになった。原もその一人だった。原爆作家という類型ではとてもくくれないと知った。

 原は被爆する約1年前、33歳の妻を病で失っている。「美しき死の岸に」では、妻との記憶を清澄な文体でつづった。

 「鎮魂歌」では妻の死と、原爆によるであろう死者たちが「僕」の想念のなかで連なっていく。原の文章はときに散文詩のようになる。

 「一つの嘆きは無数の嘆きと結びつく。無数の嘆きは一つの嘆きと鳴りひびく」「嘆きのかなた、嘆きのかなた、嘆きのかなたまで、鳴りひびき、結びつき、一つのように、無数のように…」

 原はおそらく、原爆の死者の無念を自分のなかで引き受けようとした。冒頭部分で「自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ」と書いている。生者は死者の遺志をどう受け止めるかという、普遍的な問題が問われている。

 半ばで倒れた死者に対して、原は繊細すぎる感受性を持っていたのだろう。「鎮魂歌」という類いまれな作品で原は死者の側に立ち、死者を保ち守ろうとしているといってよい。しかしそのような感性では現実の世界は生きにくかっただろう。昭和26年、原は自殺した。

◆生き残りの感覚

 阪神大震災の被災地の周辺にいた者として、被害の激しかった地域に取材などで入れば入るほど、生き残ったうしろめたさを感じなければならなかった。それもまた生者は死者にどんな態度を取るべきかという問題になった。生き残った者として、何もなかったかのように災害後を生きることは許されない。

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