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【日曜に書く】論説委員・森田景史 前棋聖の後ろ姿が語るもの

 野球は主審がゲームセットを宣告する。サッカーやラグビーは、主審のホイッスルが熱戦に幕を引く。

 ボクシングは、KOならレフェリーが選手の間に割って入り、そうでなければ3人のジャッジによる判定だ。

 試合を終わらせる権限は、プレーヤー以外の第三者が握っている。

 将棋は残酷なゲームだ。対局者のどちらかが投了を告げて終局を迎える。負けを認め、頭を下げるという最もつらい手続きを経なければ、どんな名局も完成しない。

◆残酷な手続き

 苦い思い出がある。

 学校の将棋クラブに籍を置いた小学5年の初夏、17連勝を記録した。

 駒の動かし方だけを知っている子。自玉の守りを顧みずに攻め続ける子。定跡通りの手順をかたくなに守る子。相手の棋力は、まちまちだった。

 こちらは矢倉の24手組みなど基本の手筋や詰将棋をかじり、腕には多少の自負がある。勝てる手合いも分かっていた。歯が立たないな、という相手は1人だけ。それを避けての連戦連勝に、面映(おもは)ゆさを覚えたのが本当のところだ。

 顧問の先生ににらまれ、一番腕の立つ相手と対局を命じられたのも当然の成り行き。仲間が盤面を取り囲む中、注目の一戦は見せ場なく敗れた。

 肩の荷を下ろした安堵(あんど)が2割と、尻尾を出した恥ずかしさが8割。衆人環視の中で深々と頭を下げて以来、将棋とは距離を置いた。

 米長邦雄永世棋聖の遺訓に「肝心なのは負けたあと」とあり、羽生善治九段は「勝つことより負け方のスタイル、哲学を身につける必要がある」と言っている。

 人の本質は、勝ったときより負けたときに表に出る。負け方を説く勝負師の言葉に重みがあるのは、敗北を受け入れる営みがそれだけ難しいという現実の裏返しでもある。

◆敗戦の譜

 国民的な話題となった第91期棋聖戦五番勝負は、藤井聡太新棋聖の初々しい笑顔がコロナ禍に渇いた世を潤す一方で、渡辺明前棋聖(棋王・王将)の潔さにも胸を打つものがあった。

 「負けました」と通る声で投了を告げ、「すごい人が出てきた」と主催者インタビューに包むことなく答え、敗北の痛みをなぞる感想戦にも真摯(しんし)に応じていた。ネット中継に映った後ろ姿が、印象に強い。

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