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【一筆多論】鄧小平マジックの終焉 河崎真澄

香港中心部のショッピングモールで「香港国家安全維持法」に抗議する人たち=6月30日(AP)
香港中心部のショッピングモールで「香港国家安全維持法」に抗議する人たち=6月30日(AP)

 「これで鄧小平(とう・しょうへい)マジックもいよいよ終焉(しゅうえん)だな」-。

 日中外交に長年、携わってきた外務省OBはこういう。国際社会から批判を浴びる中で、中国が香港への統制を強化する香港国家安全維持法(国安法)の施行を強行した問題を指す。

 かつて中国の最高実力者だった鄧小平。その「マジック」には2つのキーワードがあると考えられる。

 まず1984年にサッチャー英首相(当時)と香港返還で取り決めた「一国二制度」と、次に92年に改革開放の路線を再び加速させようとして「社会主義市場経済」を強調した点だ。

 「一国二制度」によって香港に返還後も存続を認めた言論の自由など民主主義制度も、「社会主義市場経済」によって導入した需要と供給で価格が動くシステムも、共産主義の中国にとっては本来、矛盾するしくみだった。だが鄧小平は弁証法的な考えで対立点を取り込み、新たな解決策を示すことで西側社会に「変化への期待」を抱かせた。

 文化大革命の政治混乱が終わり、78年末の重要会議で経済成長を優先させる改革開放路線に中国のカジを切ったのが、鄧小平だ。

 日本のみならず欧米も80年代から90年代にかけ、経済発展さえすれば中国共産党政権も成熟し、国際社会と共同歩調を取るようになって、いずれ民主化に向かうと真剣に考えていた。

 日本政府は実に、総額4兆円近い政府開発援助(ODA)を対中供与した。

 中国は2001年に世界貿易機関(WTO)に加盟した。日米欧などの民間企業は、これで中国が国際ルールを順守するようになると考えて対中進出し、あっという間に中国を「世界の工場」に育て上げた。国内総生産(GDP)で10年に日本を追い抜き、世界第2位の経済大国になった。

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