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【日曜に書く】東京五輪開催を切望する 論説委員・別府育郎

お台場海浜公園にある五輪マークのモニュメント=東京都港区(松本健吾撮影)
お台場海浜公園にある五輪マークのモニュメント=東京都港区(松本健吾撮影)

◆コロナの夏

 7月。新型コロナウイルス禍がなければ、東京で2度目のオリンピック・パラリンピックが開催されるはずだった。

 感染はいまだ収束傾向になく来夏に延期された大会の開催も危ぶまれる。4年に1度のサイクルは崩れたが、なんとしても開催にこぎつけてほしい。やらなくては、何も起きない。

◆過去を振り返る一里塚

 4年に1度の五輪開催は、古代ギリシャ人が太陰暦の8年を周期としており、半分の4年間隔に落ち着いたのだとされる。確かに8年では長すぎ、2年では短すぎる。4年は絶妙だ。

 過去を振り返るのは容易ではないが、一里が約4キロであるように、4年を記憶の一里塚と数えて五輪と絡めれば、すらすらと記憶がよみがえる。試しに個人史をたどってみる。

 五輪の最初の記憶は、1964年の東京五輪である。

 小学1年生だった。父に連れて行かれた武道館で、ヘーシンクに押さえ込まれる神永昭夫の敗戦をみた。あれが最初のスポーツ観戦だった。

 メキシコ五輪では日本サッカーの銅メダルでにわかブームとなり、グラブやバットを置いてボールを蹴った。東京の恋人チャスラフスカ(チェコスロバキア)が体操の女子個人総合で連覇を果たしたが、少年の目はクチンスカヤ(ソ連)の可憐(かれん)さに奪われた。「プラハ侵攻」を背景とする2人の反目のドラマは後に知った。

 ミュンヘン五輪では男子バレーボールの深夜の中継を徹夜で観戦した。アニメ「ミュンヘンへの道」のおかげで、全選手を知っていた。金メダルの瞬間には近所からも歓声が聞こえた。

 モントリオール五輪を代表するのはナディア・コマネチ(ルーマニア)だろうが、正確無比な演技は恐ろしくさえあり、躍動感あふれるネリー・キム(ソ連)の応援に回った。

 モスクワ五輪には高校時代の級友が代表選手に選ばれたが、幻に終わった。

 ロサンゼルス五輪以降は新聞記者として関わり、全てが最近のことのように思える。

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