PR

ニュース コラム

【日曜に書く】悲運のボクサーの「熾火」 論説委員・別府育郎

 田辺清さんの来訪を受けた。「自叙伝を書いたので、読んでみてほしい」という。タイトルには「熾火(おきび)」とあった。そのほんのごく一部を紹介する。

 田辺さんは青森出身の79歳。中央大学2年の時に1960年のローマ五輪に出場し、ボクシングのフライ級で銅メダルを獲得した。

 卒業後は新聞社に就職したが、リングサイドで取材するプロ選手がどうしても自分より強いとは思えない。退社してプロに転向して日本王者となり、ノンタイトル戦で当時の世界最強王者、ホラシオ・アカバロ(アルゼンチン)にTKO勝ちを収めた。この一戦で正式挑戦者として認められ、タイトル戦に向けたキャンプ中に網膜剥離を発症した。

 プロ生活22戦無敗での引退。悲運のボクサーだった。

ローマ五輪

 《永遠の古都ローマ。選手村に向かう途中、バスの車窓から眺める幾多の遺跡は、往昔の華やかであったローマ帝国時代を彷彿とさせる》

 ローマへは羽田からアンカレジ経由で36時間の旅だった。1回戦はシードされ、2回戦は選手村で田辺を「チビ」とからかったガーナの選手を下した。3回戦を制し準々決勝でもドブレスク(ルーマニア)を圧倒して銅メダル以上を確定させた。ボクシングでは日本選手史上、初の五輪メダルである。

 準決勝は疑惑の判定で敗れたが、表彰式ではイタリア人女性が「ジャポーネ、タナベ、ウノ(日本の田辺一番)」といって表彰台の一番上に登れという仕草をした。誰が本当の勝者か、分かってくれる人もいた。

 翌日、選手村の自室を訪ねてきたのは自分を「チビ」と呼んだガーナの選手で、トランクスを交換してくれという。地元の青森と約束しているからと断ると残念そうな顔をするので、ハーモニカを持ち出し「サクラ」を吹いて、これを渡した。

続きを読む

関連トピックス

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ