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【スポーツ茶論】“その時”に求められる存在 清水満

野球の力、スポーツの力を噛みしめたい
野球の力、スポーツの力を噛みしめたい

 75年前、1945年8月15日に終戦を迎えた。当時の風景はドキュメンタリー映像でしか知らないが、空襲で焦土と化した日本、東京もいたる所に焼け野原があった。先が見えぬ不安に虚脱状態になっている人々の姿…。戦争の悲惨さを知る。

 そんな中、ひとつの映像にひかれた。野球である。

 終戦からわずか3カ月後の11月18日、神宮球場で行われた全慶応大対全早稲田大の試合である。これ以前の10月28日、東京六大学OB戦が行われたが、野球といえば早慶戦が圧倒的な人気であった。

 映像は熱狂ぶりを伝える。スタンドは立錐(りっすい)の余地もないほど人々であふれ、4万5千人が埋めた。延長11回慶大が6-3で勝利。超満員の観衆が目を輝かせ、声をからして熱狂する。ひと時のやすらぎを享受し、明日へのエネルギーとしていたように思えた。

 ところで、神宮球場は空襲によって傷んだが、戦後進駐軍が娯楽施設の場所として周辺競技場も含め接収、整備した。これには理由がある。34年、ベーブ・ルースを主将とする米大リーグ選抜チームが来日し、全日本と戦って本場の力を見せつけた。神宮は、東京で唯一ルースが地を踏んだ球場だったからでもある。

 早慶戦の映像を見ると、球場内のフェンス沿いのグラウンド内に多くの進駐軍兵士の姿が見える。観客席には食糧難、明日をも見えぬ環境の中で娯楽に飢えていた人々…。野球を介して一体化していた。そこに「平和」という二文字が浮かんでみえた。

 復興へ。野球の力、スポーツの力である。

□   □

 その5日後の23日、同じ神宮球場で戦後初のプロ野球、東西対抗が開催された。東軍には“猛牛”千葉茂さん、“青バット”大下弘さんに“完全試合”の藤本英雄さんら。西軍には“もの干し竿(ざお)”藤村富美男さん、“親分”鶴岡一人さんらがいた。

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