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【日曜に書く】安克昌医師の本、その後 論説委員・河村直哉

精神科医、安克昌氏
精神科医、安克昌氏

 手紙をいただいた。筆跡に見覚えがあった。

 差出人を見るとやはりそうだった。ある病院から出された、患者さんの手紙だった。

病院からのお便り

 3年前にさかのぼる。

 平成7年の阪神大震災で「心のケア」の先駆けとして活動した精神科医、安克昌(あん・かつまさ)医師について、筆者は当欄で「神戸から東北へ ある本の旅」と題して記事にした(29年3月12日付)。

 安医師は阪神大震災の発生直後から、産経新聞で被災地の精神的な問題について連載してくれた。担当していたのが筆者である。連載をもとに安医師は8年に『心の傷を癒(いや)すということ』という本を出した。12年に彼が39歳で亡くなった後、23年に他の原稿などを加えて同じ出版社から増補改訂版が出た。東日本大震災の直後だった。

 3年前の記事では安医師の仕事について書いた。掲載後間もなく、長文のお便りをいただいた。心にトラブルを抱えるその方がつづるご自身の体験は、あまりに痛々しかった。そして一文字一文字書き写したいから安医師の本を貸してもらえませんか、と記してあった。

 病院内ではインターネットを使えないとのことで、その方は増補改訂版についてはご存じなかった。当時、筆者の手元には余裕があったので、1部をお送りした。安医師の思いにもかなうだろうと考えた。

今も癒し続ける

 阪神大震災から25年となった今年も、安医師について当欄で記事にした(「神戸の医師が残したもの」1月12日付)。同じ病院から今回いただいたお手紙は、その記事を読んでくださってのものである。

 その方は少しずつ本を読んでおられるという。ご了解をいただいたので一部を引用したい。

 「いただいたご本は、少しずつ少しずつ、涙しながら読み進み、ようやく295ページまで読めました。私の固く閉ざされていた何かが、少しずつ少しずつほぐれていっています。私は、近頃、本当に涙もろくて困っています。TVドラマを見ても、本を読んでも、涙してしまうのです。けれど、何だか楽になってきたなと思うのです。重すぎた荷を降ろしつつあるのでしょうか」

 『心の傷を癒すということ』の、どこにその方が心を動かされたのかということまでは聞いていない。だがその本は傷ついた人への優しい言葉に満ちている。同書から引用する。

 「大げさだが、心のケアを最大限に拡張すれば、それは住民が尊重される社会を作ることになるのではないか。それは社会の『品格』にかかわる問題だと私は思った」

貴い営み

 安医師は廃虚となった神戸で、心的外傷とその癒しについて手探りで模索した。ケアを技術の問題に終わらせるのでなく、傷ついた人に本当に優しい人間と社会のあり方を考えた。

 安医師のまなざしは、阪神大震災の被災者のみに向けられたものではない。その後の東日本大震災をはじめとする災害、事件や事故など、心的外傷体験を抱えるすべての人に通じていくものである。安医師が世を去った後も、涙しながら本を読んでくださったこの方のように、いまもなお彼の言葉は人々の心を癒そうとしている。

 筆者にはそれがとても貴いことに思える。安医師の残したものが貴いというだけではない。いまなお心に傷を抱え、そこから何とか回復しようとしている方々の営みが、貴く思えるのである。安医師は同書でこうも書いている。

 「心的外傷から回復した人に、私は一種崇高ななにかを感じる。外傷体験によって失ったものはあまりに大きく、それを取り戻すことはできない。だが、それを乗り越えてさらに多くのものを成長させてゆく姿に接した時、私は人間に対する感動と敬意の念を新たにする」

 安医師をモデルにして2月8日に全4回の放映を終えたNHK土曜ドラマ「心の傷を癒すということ」は、絶賛といっていい反響が長く続いた。抱きしめたくなるような作品だった。安医師と残されたご家族、心に傷を持つ方々をいたわろうとする作り手の思いがあふれていた。多くの人にその思いは届いただろう。1日には再編集した特別版が関西地方で放映される。

 土曜ドラマの開始が病院の消灯時間でもあったため、その方はちゃんと見ることができなかったという。いずれ何かの機会にご覧いただければと思う。(かわむら なおや)

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