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【スポーツ茶論】難病克服、命つなぐ聖火リレー 津田俊樹

鈴木康友さん
鈴木康友さん

 プロ野球巨人の背番号「5」といえば、清原和博、アレックス・ラミレスを思い出す。オールドファンには懐かしい黒江透修、デーブ・ジョンソンもいる。球団初の大リーガー、ジョンソンからジャック・リンドを経て受け継いだのが、1977年のドラフト会議で5位指名され、奈良・天理高から入団した高校生ルーキー、鈴木康友内野手である。

 早大進学が決まっていたものの、奈良まで足を運んだ長嶋茂雄監督(当時)に「次代を担う期待の星」と口説き落とされる。だが、重くのしかかるひとケタの背番号は、わずか1シーズンで河埜和正へ。新たに与えられた背番号は「43」だった。

 プロの厳しさに押しつぶされそうになりながらも活躍の場を求め、セ・パ両リーグを渡り歩く。長嶋、星野仙一、原辰徳監督らの下で、選手、コーチとして奮闘し、日本一7回、リーグ優勝14回もの勝利の美酒を味わった。

 還暦を迎える直前に難病を患ったが、克服し、4月には2020年東京五輪・パラリンピック聖火ランナーとして故郷を走る。

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 突然の体調異変だった。17年夏、外出先の階段で息が切れ、上れなくなってしまった。精密検査の結果は「骨髄異形成症候群」。造血幹細胞の異常によって血液が正常につくられない病気で、完治には移植を受けるしかない。

 「血液のがんです。40年間培ってきた経験や技術を若い人に伝えたい。このままでは…」。手術前、病院の近くで昼食をともにしたが、鈴木さんの箸は一向に進まない。「ドナーが見つかればいいけど」。深刻な病状の告白に言葉を失った。

 2歳の男の子から新しい命をもらった。臍帯血(さいたいけつ)の造血幹細胞を点滴され、血液型が「O」から「A」へ変わった。無菌室での闘病は高熱、吐き気が続き、筆舌に尽くし難いものだったという。退院後も自宅をできるだけ無菌状態に保たなければならなかった。支えになったのは、妻、純さんと2人の子供たち。「家族には感謝しかありません」

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