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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第5章 戦後75年 記者たちの目に映った「楠公さん」(1)

海軍省が発注していた刀袋。戦時中、正成は戦意を高揚させる存在だった
海軍省が発注していた刀袋。戦時中、正成は戦意を高揚させる存在だった
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  ■非合理性の理由、見つける旅

 京都市上京区の表具師、稲垣義一さんの西陣織コレクションの中に、小刀用と見られる古い刀袋がある。

 〈非理法権天(ひりほうけんてん)〉

 刀袋には、この5字が織り込まれている。別に、菊水の紋を織り込んだ刀袋もあり、楠木正成(くすのき・まさしげ)にあやかろうとして織られたものであることは間違いない。〈海軍刀御袋〉と書いた資料も一緒に残り、海軍省の依頼で織られたことが記されている。

 この連載の第2章12回目で詳しく紹介したが、「非理法権天」は正成の思想を体現した言葉として、江戸時代から流布したものだ。「非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず」と読む。権力は、最高の道徳ともいうべき法をねじ曲げることもできるが、結局は天道によって正されるという意味だ。後醍醐天皇の意思に従って強大な鎌倉幕府を倒し、大軍を擁する足利尊氏との戦いで奮戦した正成そのものだとされる言葉は明治維新後、さらに広まった。

 しかし、言葉そのものが公然と世間の目に触れたのは、先の大戦で特攻機や戦艦大和が出撃した際の旗印としてである。稲垣さんは刀袋を戦後、倒産した西陣織の織元から債権の一部として譲り受けた。米寿を迎え、戦前の京都も知っている稲垣さんは、刀袋についてこう推測する。

 「小刀は、狭い機内に軍刀を持ち込めない戦闘機乗りが携行したものです。その袋に、当時は玉砕精神とも教えられた楠公精神の言葉が織り込まれているのですから、特攻機に乗り込む兵員のために、海軍省から発注されたものだと思います」

 筆者は、日露戦争の英雄を題材にした『評伝廣瀬武夫』を書いた際、廣瀬と同郷(大分県竹田市)という縁で阿南惟正(これまさ)さん(故人)と知り合った。終戦時に自刃して実質的な最後の陸相と呼ばれた阿南惟幾(これちか)大将の四男。終戦時、つまり父親と死別した時には12歳で陸軍幼年学校を目指していた阿南さんは、最高戦争指導会議で戦争継続と本土決戦を主張していた父の口から「楠公精神」という言葉をよく聞いたという。

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